C.E.75 5 Feb

Scene アプリリウスワン・国防委員会ビル

プラントへ帰還し、国防委員会での報告を終えたキラとアスランは、そのままアリー・カシム国防委員長に呼び出され、彼の執務室を訪れていた。アリーはふたりに室内の応接ソファをすすめると、自分もその向かいに座る。
「もどったばかりで疲れているところ、すまないな。議場では少しばかりいい難いことだったのでね」
若く温和な印象の好青年である現在の国防委員長は、厭戦感の広がった今のプラントに似合いといえる。だが、キラは彼をあまり好もしく思っていなかった。彼はアスランに野心があると思い込んでいる節がある。FAITHとして外部からという形ではあるが、こうして再び復隊してしまったアスランを見て彼が何も思わずにいないはずがなかった。
「今回のことはオーブの協力があってこちらも事の次第を早く理解することができた。きみらには感謝しないといけないな。しかし、初任務がとんだことになって、大変だったろう」
アリーはオーブの介入に厭味をいうこともなく労いのことばをかけると、アスランに冷たい視線を据えた。
「……だが、きみの復隊は委員会でずいぶん揉めたよ」
アスランは申し訳ありません、と詫びる。彼はそうしたこともいわれる覚悟でキラを追ってきた。帰還航行のあいだキラはさんざん心配を口にしたが、このことに関しては神経を図太くするよ、と彼はただ笑うだけだった。
「しかし、こちらもヤマト准将を護らねばらなぬ約束がある。それにはきみ以上の適任がいないということで、クラインもゆずらなかったよ」
アリーがため息混じりにこぼした。やはり、ラクスが評議委員会にごり押しをしていたようだ。だが、彼女の気持ちがどう乗ったにせよ、それをいわせたのはアスラン自身なのだろう、とキラは想像する。ため息しか出ない。
「国防委員会にも最高評議会にも、まだ納得していない者がいるということは忘れずにいて、自重してくれたまえ」
自分自身も含めて、と彼はいいたいのだろう。
「責務を逸脱しないよう、常に心しています」
アスランが生真面目な顔で簡単な返事にとどめると、鼻白んだアリーは話題を変えた。
「アルテラ基地については最高評議会の預かりとなったが、早い段階で引き揚げが検討されるだろう。無駄な資金を使う余裕もないことだし」
メンデルのことがあるから、と彼はつけ加えた。
再開発が始まったメンデルでは、起こりうる抗議行動に備えて防衛配備の拡充がおこなわれている。開発においてはプラントでの負担額も大きいので、アルテラ基地のようなものは早々に手を引きたいのだ。ましてやその以前から検討されていたことでもある。もちろん、大洋州連合から圧力もあるにはあるだろうが、基地の惨劇を引き起こした重責をプラントが追及すれば彼らも引かざるを得まい。
「さて、本題だが。FAITHでも、とくにきみたちは特殊な状況で就いていることもあって、実はわたしから“命令”というわけにもいかず。……これはだから、“相談”なのだが」
キラの本来の特務はシードコードへの研究協力、戦闘を通じての因子を持つ者のデータ蓄積にあり、そのために有用と思われる通常の作戦任務への参加が要求される。最高評議会からその辞令はくるものの、キラにはそれを受けるかどうか選択できる権限がたてまえとしてあった。
そして、アスランの特務はキラの専属護衛だ。キラが赴くところへは必ず同行し、もしもキラが受ける任務が彼にとって危険率が高いと判断すればリジェクトできる。ふたりとも異例づくしの権限をもっているために、ザフトの上層部でもどのように命令を降せばいいのかとまどっているのだった。国防委員会の反感を買うのも無理はない話だ。
さきほどの報告の最後に、キラは対エヴァグリン作戦への積極的な参加を打診していた。アリーが個人的に呼び出し回りくどいことをいうのは、そこを拒否したい事情があるのだろう。
「エヴァグリンはひとまず情報局に任せて、メンデルの配備に回ってくれないかと考えている」
案の定の言が出てきた。実際、高らかな宣戦布告でもない限りエヴァグリンに対して軍を動かすのは難しい情勢だろう。また、政治的な事情からもヤマト隊はメンデルに行かせたいという思惑があるのは判っていた。プラントにとってはそちらのほうが優先度が高いというわけだ。
「国際協力において開発されているメンデルは、オーブ国籍のきみらがいくほうが世間の受けがいい」
キラは口を開け何かをいいかけて、やめた。
この国防委員長はこれまで文官を続けてきた人で、もちろん前線も出たことがない。彼にとって犠牲になった兵らは机上の数字だけで認識しているのだ。そういう人らをキラは今までも目にしたことがあった。彼らには、キラたちヤマト隊がアルテラで負った苦しみや憤りの半分も理解できまい。それに、今のキラにはそれを判らせようという気力もなかった。
「……少し考えさせてください。すぐに回答します」
「いいだろう。早くに頼む。───それとザラ准将」
アリーがふたたびアスランに向き直った。今度は何をいうつもりなのかと警戒する。
「本部で新しい制服を受け取っていきなさい。作戦中の任命には委員会も了承した。任命は継続として、以後は副指揮官の黒服を着用したまえ」
「……はい」
なんだそんなことか、とキラはほっとしたが、対してアスランの返事は不満げな声だった。気がついたのはキラだけだと思うが。
「中継基地でも黒服を用意させたと思ったけどね。何故それを着ている?」
アリーは視線でアスランの着る赤い制服を示した。
「……自分の判断です。特命の範囲に隊の指揮は含まれていませんでしたから。兵が混乱しても困ります」
アリーは「ふーん」というように体を起こしてソファに背を預ける。
「まぁ、“アカデミーの籍を持たない者”がアカというのも変だろうからそこは改めなさい。きみがトップガンだという事実は変えようもないだろうが……今となっては軍籍を変える必要があったのかとすら思うよ」
もろもろの事情に配慮した、とのことだったが、要は面倒を避けるためだろう。アスランは以前のアスラン・ザラではなく同名の別人として新しく登録がされている。それを考えるだけでも彼がザフトに───キラのもとへくるのは容易なことでなく、さぞや最高評議会を紛糾させたのだろうと思う。それはおそらく母国も同様だ。首長たちからのカガリへの当たりが心配になった。
「───いや、気にしないでくれたまえ。きみの現場の人気に対する厭味だよ、嫉心からのね」
そういってアリーはふたりの退室を促した。トドメの厭味を厭味のままに受け取って、キラとアスランは執務室をあとにする。否、憤慨したのはキラだけで、アスラン自身がどう受け取ったのかは判らない。それよりも。
「黒、嫌なの?」
「───え」
ふたりだけになったエレベータのなかでキラは訊ねた。アスランは一瞬不思議そうな顔をしたが、キラが何かを察したことは判ったらしい。小さなため息をこぼしてから、視線を逸らした。
「……嫌というか…そういうつもりはなかったから」
「そういうって…」
「だから、さっきいっただろう。キラ以外のことまで責任を負う気がなかった」
「……………」
ひらたく告げられたその理由に、キラはどう応えたらいいのか判らなかった。
「そうもいかなくなったな。……それも、仕方がない」
アスランらしくなく感じるそのことばにキラは傷つく。なぜなら彼が本来は真面目で、義務や責任というものを軽んじる人間ではないからだ。そして、その彼にこんな態度をとらせているのは自分自身に理由があると、知っているからだった。
「……ごめん」
「……どうしてキラが謝るんだ」
おれが勝手にしていることだろう、とアスランは再三いうのだけれど。
「必要なことならなんでもする。キラの傍にいるのに、必要なら」
ことばが終わると同時に、目的のフロアでエレベータのドアが開いた。一歩を踏み出せば、アスランも後ろをついてくる。
いつもこんなに傍にいるのに、アスランはキラが何に対して謝るのか気がついていない。そして、心を傷つけていることにも。
「キラ、右」
「え、あれ?」
無意識にザフト本部へ繋がる通路を進んでいるつもりだった。アスランに指摘された角を曲がりながら「こっちから行けるんだっけ」とぼんやり考える。進む先は、急にひと気がなくなっていた。
「あれ…ねえ、アスラン…」
「キラ、こっち」
通路の途中にある手動のドアをアスランが開けて示した。手動、ということは、これは非常扉ではないだろうか。不思議に思いながら促されるままドアを過ぎるとやはりそこには非常階段がある。ひやりとして薄暗く、静かで棟内の音もあまり聞こえてこない。
「アスラン?」
振り返ると、一歩先の閉じた扉のまえで彼は佇んでいる。
「何がそんなに不満だった?」
「……え…」
呆然としてしまったキラに半歩近づき、片手が優しげに頬を撫でる。
「見ていれば判る……」
「……………」
彼を鈍感な男だと見縊っていたわけではなかった。キラは少し傷つきながらも、それを隠していたのだから。
「……何を……ぼくが」
「いいから、いって」
触れる手の優しさに反して、彼の瞳は有無をいわせない強い光を宿していた。キラの元へきてからというもの、アスランはキラに一切の隠しごとを許さない。それはおこないなど物事に関することだけではなく、感情や心の動きに至るまで。ただ、キラには彼が望むままにさらけ出すほどの勇気はなく、とくに今彼が暴こうとしているような小さな引っ掛かりなどは、どう告げてもうまく伝わらないような気がしている。
だから、キラは黙ったままそこで俯いてしまう。
「キラ?」
アスランの手は変わらずにキラの頬や髪を静かに触れている。彼の追及を逃れる方法やごまかす手段を考えようとしても、その手の仕草の柔らかさに絆されていく。だが、白状してもただ彼を困らせるだけのことを、いうわけにもいかないだろう、と思う。
「……それとも、この続きは夜にしようか?」
「………!」
慌てて顔をあげたその先でアスランは笑っていた。この頃彼はわるい手管を覚えて、キラが強情をはるとベッドのなかで暴きにかかる。キラは二日前のことを思い出して、激しく頭を左右に振って否を示した。
「そうか? ───時間ももう遅いし、そろそろ本部に行かないとならないしな……」
「じゃあとりあえず本部に行こうよ! 話はそのすぐあとでいいよね?! 帰り道とかで!」
「夜は?」
「おとなしく寝ようよッ!!」
涙目になって訴えるキラに、アスランはまた楽しげに笑って「冗談だよ」といった。そうはいいながら、本当にこのあと話さなければ、彼は実行に移すかもしれない。
「……キラ、カシムの要請をどうする気だ」
ふいに雰囲気を変えて、アスランが訊ねてきた。さきほど、保留にしてきた今後のヤマト隊の配備のことだ。キラは眉間に皺をよせた。
「……受けるしかないでしょ。それに、」
アスランは黙って聞いている。その決断はとうに判っていたようだ。
「エヴァグリンは追わなくても、向こうからぼくのところへくるんじゃないかな」
あるいはまた、アルテラのようにキラが向かうべき舞台をどこかで用意してくるかもしれない。
ヤマト隊の初任務があまりにもできすぎていた。そのうえからかいに現れたかのような、あのハイペリオン。
───ぼくは弄ばれたんだ。
そんなことのために、ザフトの兵たちが犠牲になった。決して許してはおけない。無意識に胸元で握り合わせた両の拳に力が入る。それが思い出した怒りでぶるりと微かに震えた。その手を包むようにアスランの右手が添えられる。
「キラ」
今この場所が薄暗くてよかったとキラは思った。怒りと悲しみを綯い交ぜにした今の表情を、アスランにあまり見られたくはない。キラはさらに隠すように顔を俯かせる。
「だめだと、いっただろ……」
アスランはそれを許さず、顎を掴み上向かせる。だが、そのまま目を合わせることなく慰撫するように唇を合わせてきた。離れるとすぐに自身の胸にキラを抱き込む。
「おれが力になる。……そのために、ここにいる。キラのためだけに、ここに」
そのことばに少し心が、緩む。肩に入っていた力が抜けると再びくちづけが落ちてきて、今度は熱のある舌が挿し込まれた。そうされてキラは、自分が知らず奥歯を噛み締めていたことに気がつく。
───どうしてきみは、判ってしまうんだろう。
───ぼくのために、ここに、いるから?
だがキラは、今度はアスランへの不安を甦らせるのだ。度重なるアスランのこの告白は、彼自身にいい聞かせるためではないのか、と。たまらずにキラから唇を解くと、アスランはそのままにしてキラの目を探るように見つめた。
「……きみは本当に、それでいいの? 本当のきみは、違うんじゃないかって、ぼくが不安になるって判らない?」
ついにキラはこの場で、打ち明けることになってしまった。
「……キラが考えてたのは、そんなこと?」
そんなことで済ませられる、ことだろうか? なのに、目の前のアスランは微笑んですらいる。白状した気持ちを軽んじているわけじゃないことは判るけれど。
「キラ……、今のおれを受け入れて」
「……いま、の…?」
「そう。何度もいってる。おれがそうしたくて。そうしている、今のおれ」
戸惑うキラを置いてアスランはその腰にもう一度、両腕をまわしてしっかりと包み込んだ。アスランはことばを続けている。ごく小さな囁きで。触れている片頬が耳になって、それを聞いていた。
「幸福なんだ。おまえのことで、頭をいっぱいにして。おまえのためだけに生きていることが。───長いあいだ、どうすればいいか判らなくて。やっと判った。判ったんだよ、キラ」
「……………」
キラは目を見開く。こんなに心が竦むことはなかった。大きく感じる喜びが、全身を満たしているのに。その片隅に残る少しの罪悪感が、とても恐ろしかった。
「───そんな、ふうに……きみを変えさせるほどの価値が、ぼくになんて、」
「おれのすべてなんだ」
震える声を抑えながら必死にいいつのるキラを遮って、アスランは断言する。それ以外の存在など許さないというように。そして、ゆるく腰を引き寄せていた腕が背中に移動する。それをきっかけにキラの腕が、彼を抱き返した。
「……アスラン…」
「キラも覚悟して、受け入れてくれ」
「……………」
もう、ことばはなかった。何をいってもアスランが否定する。不安など思う必要はないのだと。幾度か離れたこの腕だから、不安が甦る。彼はそれを今も悔いて、キラに償おうとしてくれている。
「アスラン……」
満たし始めた彼の激しい感情で溺れそうになる。
───抱きしめて。ここにいて。溺れてもいいよ。離さないで。ぜったいに……二度と。
それがまるで通じたように、アスランの腕に力がこもる。泣き叫ぶ声をすべて飲み込んで、キラは彼にただ強く取りすがっていた。