Evergreen Interlude

C.E.75 3 Feb

Scene デーベライナー・指揮官室

大洋州連合の宇宙艦を待って夕刻、ヤマト隊はプラントへの帰路についた。通常航行時の艦内は六時間当直、十二時間非番でシフトを組まれるが、指揮官など隊幹部は非番のうち半分はデスクワークなどに充て、なんだかんだと時間がなくなる。現在は作戦が終了したばかりということもあって、作るべき報告書の類が山である。
キラは今、その山を作る端からアスランに添削されて少々うんざりきているところだった。
「十二項の資料がどこにもない。この“添付”っていうのは?」
「あ。忘れてた……かも」
「……さっきからそればかりだな。早く作れ」
「もう休ませてよ…」
「もう少しだけ頑張れ。あと三十分」
そういってアスランは室内の簡易キッチンへ向かう。たぶん、励ましのコーヒーを淹れてくれるのだろう。
一緒に育った子供の頃からそうだが、彼はキラを手伝ったり、こうして励ましてくれようとはするが、基本的に甘やかしてはくれない。誰かが、キラには甘いといったこともあったと思うが(ミリアリアだっただろうか)、例えば今期待してるような「あとはおれが全部やっておく」ということばは一切出てこない。
「うう……」
キラは唸りながら指摘された資料を作り始める。アスランは淹れたコーヒーをキラのデスクにそっと置くと、隣のデスクに座って彼自身の報告書作成にもどった。
アスランがさきほど三十分と時間を区切ってきたので、このシフトでキラの仕事は終わらないとみているに違いない。それは事実だった。キラは集中さえすればどんなものでも基本的に作業は速い。が、今は気がそぞろになっている理由があった。
そっと窺い見た、アスランの横顔。真っ白な絆創膏のあてられた口元の痣は、あきらかに殴られた痕だった。
だが、アスランは「ぶつけた」とあからさまな嘘をいって、その理由をいまだに告げない。

アスランは本当にキラにずっとつきっきりだったが、正確には二度ほどその視界から消えていた時間があった。
一度目はアルテラ州知事を尋問しているとき。アスランからキラの立ち会いを断固として拒否された。
二度目はデーベライナーが出航した直後、ちょっと出てくる、とどこへいくとも告げずにひとりで指揮官室を出ていったときだ。ほんの三十分ほどで彼はもどったが、そのときに痛々しい痕をつけてきたのだった。
だが、キラは深く追及しなかった。いわれなくても、それが誰の手によるもので、どのような気持ちがその拳にのせられていたのか、すぐに判ってしまったから。それはもしかしたら、キラが受けるべきことだったのかもしれないとも思う。
殴られてきたアスランの、いろいろなものに向けられた優しさが辛く、また恨めしく、アルテラでの出来事も重なって、キラは今、どうにもいたたまれなくなっていた。
「切りがいいからここまでにしとく。あとは起きたらちゃんとやるからさ…」
区切られた時間まで届かなかったが、キラは早々に音を上げた。報告の作成ではなく、視界にはいる彼が、彼のことを考えてしまうのが、とにかく、つらい。
「……そうか」
アスランは自分の仕事に集中しているのか、そっけなく了解をした。顔をあげることもしなかった。
「おやすみ」
キラはそう告げると、その返事を待たずに寝室へ引き上げた。

脱いだ軍服をサイドテーブルにひっかけて、ベッドに潜り込む。とにかく眠って。今は眠って。逃げるのかといえば、そうだろう。一眠りして起きれば、今よりひどいことはないだろう。この心の痛みが。
だが、それから五分も経たずに寝室のドアが開く。
深いため息と、キラが脱ぎ捨てた服を取りあげる気配。ひとこともこぼさずに彼はそれを仕舞った。近づいてくる足音に、お願いだから、とキラは被っていたシーツをさらにぎゅっと引き寄せる。
「───キラ?」
優しい声が、枕元で問うてきた。

いつもと変わらないようにしていたつもりだった。
彼の口元の傷も「何をぼーっとしてたの?」「どこにぶつけたの?」と、流せるほどの軽さで訊ねるだけにしつつ、キラ自ら手当を施して。ぶつけたなんて、恥ずかしくてドクターにいえないよね、と。笑ったりして。笑ってみせたり、したのに。
「キラ」
追いかけるように呼びかけてきたアスラン。眠りにつくまでひとりにして欲しい気配を彼はきっと察しただろう。だが、放っておいてはくれなかった。
「……キラ……、頼むから」
ぎしりと沈んだベッドの端、囁くような低い声音になった彼が誘ってきたことに、キラは驚いていた。
「頼むよ…抱かせて」
「……………」
「キラ、返事は?」
「…判ってると思うけど……ぼく今日は機嫌わるいよ……」
数日前の会話を意識した。くすりと小さく笑ったアスランも、それを覚えているようだった。
「おれはそうじゃない。だから、」
優しくするから、いいだろう?───と、シーツ越しキラの向けた背中に手を伸ばしてくる。いたわるようにひと撫でしてから、今度は上向きになっている左の脇から腰にその左手を滑らせた。
「……………」
キラが感覚を堪えたのを感じとって、アスランが微笑った、気配がした。
「キラ?」
口では待っているふりをしながら、アスランはベッドの上に完全に乗り上げて、キラの体を布越しに触った。背中から圧しかかられて動きを封じられて、そうして頭まで被っていたシーツを引き、キラの顔を向かせる。
少し強引に思った行為に反して、見おろすアスランは優しく微笑みながらも切なさを滲ませていた。
「……泣いてた、?」
静かに問われたことば。
「………泣いてない……なに、いってるの」
本当に泣いてなどいなかった。けれどアスランは「そうか」といいながら、涙の跡を辿るようなしぐさで頬に指を滑らせてくる。それを顎に留めると、そのまま柔らかく唇を合わせてきた。キラの唇を吸うだけの優しいくちづけは、やはり、慰めているかのようだった。それに少しもどかしさを感じてキラが舌を差し出すと、アスランは何故か唇を解く。替わりに、頬や瞼、額に、ゆっくりと丁寧にくちづけていく。
「………っ……」
いつのまにかシーツの中に忍んでいた彼の手が、肌まで直接届いていた。その接触につい声が漏れたキラを、アスランが静かに見つめている。何を考えているのか、読めなかった。
「……するの…?」
「そういっただろう……嫌なら止めるが」
拒んだら彼はどう捉えるのだろう。本当に判らなかった。ただ、眠りに逃げようとするキラを、咎めているようには感じた。どうして?
黙ったままでいると、答えは彼が教えてくれた。
「…そうやって、おれが隠しごとをしても見ないふりをしてすませるのか。おれにも、そう、しろと?」
キラの身体を抱き込んだ手が、直に触れたまま背中を真っ直ぐおりて下穿きの中を撫する。震えたキラを無視して片側の臀部を強く掴み、揉みしだいた。
「怒ってる、んだね」
「まさか」
いいや、彼は怒っている。それだけは判った。
「…今は───どうやってキラをその気にさせようか、考えてるだけだ」
「……判ってるくせに……」
とうに反応していることは、さきほどから彷徨わせている掌が前を触れたときに気がついたはずだ。今キラが小声にこぼしたことに応えるかのように、そこへ露骨な刺激も加え始めた。小憎らしく笑っている。
「それは判ってるよ。そうじゃない。どう嘘を暴く気にさせようかってこと……」
「……………」
キラはアスランの手管に負けながらも、はっとなって気がついた。何故彼の嘘を許したままにしたのかと。判りやすい嘘を。ぶつけたなどと。シンに殴られたんだろう、と、責めることをせずに。
自分でつくろうとした、まだ薄い壁。このままにしておいたら厚みを増やしてしまうのかもしれない。
「……ん…、あッ……」
強くされた刺激に堪えていた声が漏れた。首筋を舐られる音が耳につく。自分の荒い呼気も気になって仕方がない。
「アスラン……」
呼びかけた声に彼の顔があがる。くちづけが欲しくて相手の頭を自分に引き寄せようと首に腕をまわしたが、するりと逃げられる。
「……アスラン…」
「だめ」
そう応えて起き上がり、キラが抱え込んでいたシーツを剥ぎとって、さらに動きを強くした。
「───ア…」
咄嗟に呼ぼうとして詰まらせた。なかば呼吸を忘れかける。久しぶりのせいもあるのか、彼の愛撫は必要以上にキラの鼓動を速めた。
「……ごめんな」
耳元で優しい彼の声。囁かれてキラは閉じていた瞼を開け視線を合わせる。いつの間にか彼はまたキラに覆いかぶさり、キラに触れ続けたままでいつどうやったものか、制服の上着はすでに脱いでいた。
「あまり優しく、できないかもな」
何をいわれているのか理解しきれておらず。ただ、彼の熱い息と匂い、暖かな体温と、触れ合わせる感触、全部が激しく欲しくなり、相手の背中を掻き抱いた。そのままアンダーシャツをたくしあげて脱がせると、今度はアスランがキラのシャツを片手で器用に脱がせる。それを待ち構えてから彼のジッパーを押し下げ自分の手をねじ込めば、上から息を詰める気配がした。触れるまえからそこは固くなっていると知っていた。
「キラ」
叱るように名を囁き、アスランはまた体を起こしてキラの手から逃れると足元まで下がる。何をするつもりか察して、キラは逃げるように足を動かしたが間に合わず、抑えこまれて、抱えられる。
「──アッ……ァ、アス、ラ、」
断続する直接的な刺激に何度も声が詰まり、窒息寸前に追い込まれる。アスランは、はじめの宣言どおり優しく慈しんで触れながら、そのあとの否定どおりに激しく、キラを責めた。愉悦の合間に心を暴いてくる。どういう形でも、おれに見せて、と。睦言のようにいって叱った。従うしかなかった。
出来事の重みが嫌だった。嫌がって逃げたくなっている自分も嫌だった。それでアスランに縋ろうとすることも。そのためにつくりかけてしまった心の壁を壊すかのような乱暴さを、キラに止めるすべはなく。ふたつに折られた身の中心を貫かれながら、アスランに泣いて許しを請うた。こんなにひどく啼かされたことは今までなかった。
ただ、声を抑えることも忘れるほど乱されたのは、彼が密かに怒っていたせいではなく。彼がそうでありながら、はじめから最後まで優しさでキラにそうしたことがずっと伝わっていたからだった。

静かになったアスランの髪に辿々しく指を差し入れた。しっとりとした感触をそうとも感じないくらい長く、汗に馴染んでいたと知る。目の前の彼の顔。傍に欲しくて引き寄せると求めるままに降りてきたのが嬉しかった。
整いつつある呼吸と一緒に繰り返される軽いくちづけ。深くしてくれないのは何故だろうと今更ながら気がついた。いつもならこちらの呼吸を止める気なのかと、本気で疑うほどだというのに。
キラは自分から舌を挿し入れると、途端、抱いた彼の肩が震える。そして舌先に感じた少しの違和。じわりと感じた血の味にはっとして、キラはアスランを放した。
「だから…だめだっていっただろう」
そういって優しく微笑んだ彼の片頬の、思い切り殴られた痕。したたかに打たれて口の中も切ったのだろう。今のいままでキラはそれを忘れかけていた。
「ごめ…、まだ痛いよね」
慌てたその問いには答えずに、開き直った態で彼から舌を絡ませてくる。
「ん…ちょっと……もう、心配してんのに」
少しだけそれに溺れかけ、気をもどして押しのけると、アスランはまだ笑っていた。
「それほど痛くはないよ。殴られるのは判ってたしな」
ふいに殴られるよりは歯を食いしばる分だけ被害は小さい。咄嗟に構えられるだけの覚悟を持って、シンのところへ行ったということだろう。キラがいろいろなことで、頭がいっぱいいっぱいになっていたあいだに……。自分は本当に弱くなっていると気がついてまた落ち込みかける。
「それに以前、おれのほうがあいつを殴ったことがあったからな」
「……えっなんで…」
問いかけてすぐ、聞いた話を思い出した。目を逸らしたキラにアスランが気がつく。
「……聞いたのか?」
「………ルナマリアから、少し……」
「…まぁ、悪夢だったよ。おかげでそのあとは目も覚めたけどな」
どういうことか、と今度は声に出さずキラは待った。
「───キラを失えないってことに」
「失いたくない」ではなく。「失うことはできない」と。
そう思って何もかも気がついたのだと。アスランはそう告げた。
───ああ、同じことを思っていたんだね。
そのあとキラも、シンに墜とされて瀕死でもどった、彼に。
アスランは体を起こしてキラの手を引いた。そのまま抱きしめてくる腕がキラの「失えない」もの。キラを弱くするものだった。
「……無理させたか?」
「ううん……」
「おれには何も隠さないで」
耳元に囁かれる願いには応えず、彼の背に回した両腕に、ただ、力をこめた。