C.E.75 2 Feb

Scene デーべライナー・指揮官室

標準時にして深夜の時刻へ差しかかる頃、キラはアスランとともに休息に入った。とはいっても、コロニーへの降下作戦をまえに規則通りの時間を休めるわけではない。本来ならキラと交代で指揮が可能な人間の増員だったが、キラ付きの専任護衛とあってはそれもままならない。人的資源の足りないザフトにおいて、これ以上贅沢なアスランの使い方があるだろうかとキラは嘆息した。
「───どうする、今日」
そういって制服の襟をくつろげ、ベッドのうえに制帽を放り投げる。アスランは何も応えずに放った帽子を手に取り、壁にある専用フックにかけた。その行為をどうにも厭味っぽく感じ、キラは不機嫌が加速する。
アスランは次に据え付けのクローゼットを開き、赤い上着を脱ぎ始めた。キラはその色をじっと見つめる。
“ザフトレッド”───アカデミーで卒業成績上位、かつパイロット志願で特殊訓練と技量をクリアした者のみが与えられる色。心技体ともに優秀で少数、そのうえで最も死に近い最前線へ自ら進む者に血と同じ色を与えるなど、平和ボケしていた頃には皮肉としか受け取れなかったものだが。
エリートの証は同時にその気概なのだ、と以前ディアッカから教えてもらったことがある。だが、私意で動いたアスランにもうそんなつもりもないだろう。むしろ、赤を受け取ったその最初から、そういうことには頓着しなかったのではあるまいか。負けず嫌いではあるが、エリートらしからぬプライドの欠け方をしている彼だ。
「どうすんのアスラン」
キラはもう一度訊いて、脱いだ制服もまたベッドに放った。さらに、自分の身体をそのうえに投げ出す。アスランはキラの身体を器用に転がして、下敷きにした制服の上着を取り上げた。
「何が」
部屋にもどって最初に聞いた彼の声音は少しも優しいところがなかった。今日はそんな声しか聞いていない。
アスランがキラの制服をきれいに整えてハンガーにかける。見つめる先の背中は赤ではなく、身体の線がくっきりと浮いたアンダーシャツになっていた。
「する?」
キラの問いに一瞬アスランが止まる。だがすぐに動いて、今度は白のブーツと制服の下を脱ぎ始めた。応えはない。その気がないならそれでもいいとキラは息を吐き、腕を枕に横を向いた。
寝室のベッドは当然だがひとつしかない。自身の部屋の用意を断った彼がどこに寝るつもりなのか知らないが、まさか執務室の方のソファとかいうつもりはないだろう。同じベッドに寝るのなら、そういうこともするかもしれないと思っただけのことだった。何しろ、前回肌を合わせたのは年が明けるまえのことになるのだし。
そんなことを考えながらウトウトしかかったところで、臍の下あたりをごそごそといじられる。
「なに」
頭をあげて見ると、アスランがキラのウェストホックを外しにかかっていた。
「……すんの?」
「そのまま寝るな。皺になる」
ブーツに続いてずるりとスラックスを脱がされる。小言がなければアスランではないが、いいかげんに放っておいて欲しい。世話を焼かれるのは面倒くさい。とくに今は、そういう気分なのだ。
「したいのか?」
再びクローゼットを向いた背中がそういった。
「判ってると思うが、おれは今日機嫌がよくないぞ」
自分勝手にするぞ、ということだろう。
「そんなの、ぼくだって機嫌わるいよ」
「……だったら誘うな」
ばたん、と大きな音をたててクローゼットの扉が閉まる。確かに機嫌がわるいのだろう。
キラは「ふん」と鼻を鳴らして目を閉じた。それでもベッドの左へ動いてアスランが寝るための場所を空けてやる。背中を向けた先がベッドへとあがってきて、スプリングがきしんだ。枕だけは譲ってやるものかと片腕でしっかりと押さえて、顔をそこに埋めた。
「───キラ」
小さく低く落とされた声が落ちてくる。キラは枕を抱えたまま振り返って相手を見た。思ったより近い位置に彼の顔がある。アスランは両手をついてキラの顔を覗き込むようにしていた。
「…機嫌を直せとはいわないが…」
「……いわないの」
「………おれが直せないからな」
「頑固だね。知ってるけど」
次の応酬に身構えたが、アスランはそこで黙ってしまった。
「直せとはいわないけど、なに」
なかなか続けない彼に焦れて、結局キラからアスランがいいかけた続きを促す。
アスランはそれでも何もいわず、静かにキラを見下ろしていた。
「…なに…アスラン」
キラは無理な体勢で捻っていた体を仰向けにもどして転がった。その先でじゃまになったアスランの片腕はキラの動きに合わせて自然にあがり、キラの顔の脇に置かれる。
アスランはそのまま、何かをいいだせないかのように何度か口を開きかけ、閉じる。キラは彼をよく知っているが、いいだせないのではなく、いいたいことがありすぎてことばを選べないのだろう。こういうとき、何を選んで告げるかによって男の評価が決まる気がするが───。
「眠いから明日にしない?」
そういったときのアスランの絶望したような呆れたような表情が、そのまま夢にでてきそうだと思いながらキラは枕を抱え直した。

そして、慣れたと思ったらこれだ。
しばらく遠のいていたはずのぬくもりがもどった途端、わずかでも離れれば気がつく。こんなに甘やかされた自分でいいはずがない。
キラはふいの目覚めにそれだけのことを思考した。
昨夜、一方的にキラが告げたおやすみのあと、アスランはため息をつきながらも背中を向けるキラをその背後から抱えるように腕に閉じ込めて眠りについた。今はそれがない。はっきりとした覚醒の一瞬まえ、キラは自分の腕がそのぬくもりを探して彷徨ったことに気がついた。探し当てることができずに目が覚めたといってもいい。
軽く舌打ちをしてもぞもぞと起きだし、時刻を確かめると、体力を回復させるくらいの時間は経過していた。

「……おはよ…」
「おはよう」
執務室へ行くと、アスランは指揮官室出入り扉の脇にあるソファでコーヒーを啜っていた。手前のローテーブルには淹れたてと思しきコーヒーがもうひとつ置かれている。キラが起きて支度する気配を知って、彼の分も淹れたのだろう。自分のコーヒーがあるとなれば、キラもデスクではなくソファへ向かうことになる。
「ランデブーにはまだ時間あるよ。…きみ、休息足りてないんじゃない」
アスランの対面に座りながらキラはいった。実際にはデーべライナーがプラントを発つより早くジャスティスで地球を離れていたアスランだが、この艦へ合流するために相当な身体的負担を強いたのは違いない。
「無茶ばかりしてさ。立場のことも考えて欲しいし。怖くてプラントにもどれないよ」
「起き抜けに説教か。キラも偉くなったんだな」
憎まれ口をいう彼の顔を睨むふりでよく見たが、疲れを残している様子はほぼなく、キラはそっと胸をなでおろした。
「一晩で機嫌は直らなかったようだな」
キラがコーヒーの入ったカップを持ちあげるのと入れ替わりにカップをテーブルに置きながら、アスランがつぶやくようにいった。ただ、視線はまっすぐキラに向けられ、宥めようとか茶化そうとかそういった雰囲気は一切ない。
「…認めてないからね。きみのしたことなんて」
「かまわない。おれは、おまえの傍にいることがいちばんいいと決めたんだ。あとは瑣末なことだ」
キラは冷たく返事をしたが、対するアスランもわずかに硬い声でそういいきった。
「ぼくがしてることを見抜けなかったのがそんなに悔しいの。代理のお目付けじゃ足りないってわけだ。そうまでして───」
「判ってないようだなキラ」
キラを遮って急に立ち上がったアスランにほんのわずか怯み、口を噤む。だが、アスランは自分のカップを取るとキラが座るソファの後ろを過ぎて部屋の脇にある簡易キッチンへ向かった。

アスランの様子は、昨日より憤っても見えない。キラの不機嫌につきあっているだけだろう。それも判っているのに、キラは彼が立ち上がった一瞬、叩かれるとか、そういうことを想像して身構えた。
自分の勘違いが何故だかおかしかった。アスランがキラに暴力をふるうようなことは考えられない。だから、キラ自身がアスランに対して負い目を抱えていることの表れなのだろうと思った。
観念するしかないということなのか。
アスランを少しでも、この場から遠ざけることができたならと、思っていたのに。
キラはプラントと前線勤務を約束している。SEED研究の被験体の活用も義務となっている。アスランがここまできてしまっては、“リスト”に入る彼も被験体として取り扱う義務が生じてしまう。それを割り切れる自信がない。冷静を欠くかもしれない。判断を誤るかもしれない。そして、彼が傍にいることで緩みが生じるかもしれない。
これはすべて、キラ自身の弱さだ。ウィークポイントはできるだけ遠くにしておきたい。でもそれは手前勝手なことで、アスラン自身の意思をすべてどこかに置いた話だった。
キラが思うのと同じように、アスランにとってキラが彼の弱点となることは知っている。アスランがそれを自覚していることも。
でも彼はキラのように逃げることを許さず、それを覆しにきたのだ。それを「認めない」などと、いったいどの口がいったのか。
キラは思い切るようにカップに残されたコーヒーをあおった。
「………判ってるよ」
だが、意を決したはずのことばは小声になってしまった。それが、投げ遣りや厭味で返したのではない証しになっただろうか。
背後から急に伸びた腕が、キラが持つカップを奪い、片付けられる。
「────あ…」
───ありがとう、ごめん。
そういえばいいのに、と。
「判ってない、少しも」
座るキラの背後から落ちてくる声。
「だから、思い知らせるためにきたんだ。おまえは怒って当然だ。おれのすることが理不尽だと」
そこまでいって一呼吸を置いた。
「ただひとつだけ知っていて欲しい」
アスランの指が、そっとキラの後頭部を梳く。

「おれにはもう───おまえしかいないんだ」

キラは後ろを振り返ることができなかった。
動かずにいたキラに焦れたのか、アスランは自らキラの正面に回りこみ…テーブルがじゃまで少し左に逸れていたが…、片膝をついて視線を合わせてきた。
「…なんて顔、してるんだ」
泣きだす寸前の顔を、していたかもしれない。アスランは苦笑いして緩めた表情で優しくキラに語りかける。
「キラ───?」
「…ぼくだって…きみだけ、だよ」
それを告げるだけでいっぱいだった。本当に泣き出すことはなかったけれど。
アスランは微笑みを向けたまま隠すように息を吐いて、判っていない、といいたげな瞳をしていた。そんな小さな心のゆらぎをキラは感じ取ってしまう。わだかまったまま、それでも身動きができなくなってしまったのは、さきほどのアスランのひとことだった。
彼にこんな寂しいことをいわせるのは、自分にも責任あることなのだ、と。