C.E.75 1 Feb

Scene デーベライナー・第二作戦室

エレベータが目的のフロアに到着し、開いた扉の五メートル先に佇む二名の上官を認めるとルナマリアはあっと息を詰めた。
「遅くなりまして、申し訳ありません!」
考えごとに捕らわれてついゆっくりとしてしまったか。
第二作戦室の入口のそこへ小走りに駆け寄りぴたりと足を止め、目の前のキラとアスランに敬礼する。
アスランは表情なく静かに返礼して、その腕をもとあったウェストの後ろにもどした。左腕は端末ボードを抱えている。キラはそれと同じ方の手で制帽を抱えているだけだった。どうやらコロニー降下後の作戦指揮を、本当にアスランに任せるつもりらしい。
「ごくろうさま。遅くなんてないよ。ぼくたちが早すぎたんだから」
静かに微笑んでそう返すキラのさきで、参集した兵たちが戸口に立つ上官に恐縮しながら敬礼し部屋へと入っていく。確かに彼らは早かったようだ。せめて、扉の外ではなく室内へ入っていてくれれば、彼らも中へ入りやすかろうと思う。
「ごくろうさま、シン」
キラが声をかける方向を見やると、不機嫌も顕なシンがやってくるところだった。かなり適当ではあったが一応の敬礼をして作戦室へと入っていく。彼は今日ずっと機嫌がわるいままだ。アスランがきっかけだったことはなんとなく察しているが、はっきりと理由を聞いたわけではない。機嫌がどうでも、このまま彼がおとなしくしてくれていればいいのだが───。
ルナマリアが思うことは、揉めごとはとにかく勘弁してもらいたい、ということだった。ただでさえ、この作戦で新規の人員が増えた分、気苦労が増えているのだ。
今回急場で集められたとはいえ、タスクで参入した兵はそれほど、いうなれば品のない者たちではない。ザフト幹部がそれなりにオーブに対して気を遣っているらしい。だとしても、最初から特命で配属されている兵らとはまた意識が違うだろう。キラやヤマト隊に対して。さらに、シンを見て判るように、アスランは元の隊員にも複雑な事項だ。いくら規律を勤勉に守る態度の良い者たちでも、今後いくらかのトラブルを起こすかもしれないと頭の隅で想像し、彼女はうんざりしているのだ。

先走った想像に疲れて大きなため息がでそうになったとき、「ここを頼む」のアスランの呼びかけがルナマリアを正気づかせた。とうに予定時刻となっていた。
いい置いた彼はキラを残し、ひとりで扉の中に向かっていってしまった。おや、と彼女が気がつく間に、キラが「アスラン」と呼び止める。彼はすぐに振り返ったが一言も発することなく、ただ見据えるように少しだけ顎を引き、キラを見た。それだけで向き直し作戦室へと去ってしまう。そしてその扉はすぐに閉められてしまった。
ルナマリアがそっとキラの表情を伺うと、閉じた扉をじっと見つめる横顔はいつもの読めない表情になっていた。
今のは何だったのか。必要と思われる会話が欠けているのは、幼馴染ということだから、それこそ阿吽の呼吸というやつなのかもしれないが、周りにいる人間にとってはどうにも取り残された気分だ。
それはともかく、その場に佇んだままになったキラにルナマリアは話しかけた。
「あの、隊長は、中へは……」
「うん、もう任せたから。アスランに」
急な命令系統の変更は部隊が戸惑う。この作戦会議にキラが同席しないことで、兵らに直上の指揮官を明確に刷り込ませようというのだろう。そんなことはすぐに察した。
「……え、と………」
「このくらい自分でどうにかするだろうし」
そういうことではない、と否定すると「アスランのことを心配してるんじゃないの」と彼は小首を傾げた。
ブリーフィングが彼自身のことで多少荒れたところで、アスランはそれなりに対処できるであろうことをルナマリアは以前に見知っている。
「あのー、隊長がこのままここで、その…なんていうか、」
「ぼーっと立ってるのが変?」
「そうです」
非難めいた声になってしまった。用事がないなら自室か艦橋にでももどればいいことだ。少なくとも、この艦内でいちばん偉い立場にある人間がぼんやり廊下で待機など聞いたことがない。
「離れると怒られるし。アスランに」
「そんな理由ですか!」
「さっき、ここから動くなって目配せしてったでしょ」
「いえ、判りません、そんなこと」
「退屈だから話し相手にルナもここに呼んでくれたんだろうけどさ」
「それは違うと思いますけど?!」
んふふ、と笑って、彼はそれきり黙った。軽口のどこまでが本気か判らない。

それからしばらくの沈黙が続いた。人の行き来がある通路というわけでもなく、閉ざされた目の前の作戦室からは何も聞こえてはこない。そこは完全防音になっているのだからあたりまえだ。
この状況が気まずい相手というわけでもないが、暇つぶしは必要だろう。冗談ではなく話し相手になることはやぶさかでない。
「アスランがきたこと、何か不満なんですか?」
我ながらその話題の選択はいかがなものかとは思った。だが、ずっと引っかかっていたことではあるし、アスランがいるところで聞けることでもないので迷いはしなかった。キラが困る話題なら彼自身がうまくはぐらかすだろう。
「なんで、そう思うの」
小さく苦笑をこぼして彼は聞き返してきた。
「さっきは不機嫌そうに、見えましたから」
めったにあることではない。元の性格なのか、それともそれなりに指揮官として自重しているのかは判らないが、まぁ前者なのだろうとルナマリアは想像している。
キラはポーズをとるようにひとつため息をつき、小脇に抱えていた制帽を手前にいじりながら語りはじめた。
「うん。不満ていうか、今回は失敗しちゃったと思って」
「…失敗?」
「アスランを引っ張りだす気はなかったんだ。彼がいると、めんどくさいんだよね、いろいろと」
「……はぁ……」
専任護衛の秘匿のために今作戦の指揮まで負うことになって、面倒になっているのは実はアスランだけのようにも見えるが。
「シンがやたらとぼくの護衛任務に就きたがってた意味もやっと判ったし。アスランて無言実行なんだ、昔から」
私的護衛の件が当人を差し置いた話だったことはさきの会話の流れでなんとなく察した。そして、アスランが世話をやきたがる質だということは、キラから何度か聞いた昔話で知っていた。
確かに彼の行動は過剰ではないだろうか。ザフト内に信頼する者も少なくないだろうに、自分自身がここへくることは確かに面倒が多く、合理的でもない。だが。
「ぼくがプラントにくるって決まったときから、根回ししてたんだろうな、きっと」
「…アスランがここへきたこと、ですか。そりゃ、取り次ぎが早いなぁとは思いましたけど…。でも、だったら始めから一緒にくればよかったんじゃないですか?」
「だから、それはめんどくさいことになるから、ぼくはそういう話題を避けてたわけ。アスランもひとこともいわないし、そんなこと」
「何がそんなにめんどくさいんです」
「なにもかもだよ」
キラは投げるようにそういって唇を尖らせた。
予想はしていたが、なんというか友人間の、というよりは兄弟げんかの愚痴を聞いている気分になってきた。ルナマリアは嘆息して、これ以上を詮索するべきかどうかの判断に迷う。
その間にキラは制帽をきちんとかぶり直し、急に雰囲気を変えてこういった。
「結果的に、きみの仕事も面倒なことになってるでしょ?」
何をいわれたのか。そのまま保安部の仕事のことをいっているのか。───否、と悟ってルナマリアは一瞬冷水を浴びた気分になる。凝視したキラの顔は、穏やかに微笑んでいたが。
「……あの…」
まさか、と彼女は思う。
「きみは判ってると思うけど、ぼくもアスランもプラントが困るようなことは考えてないよ。だからきみもあまり困らないで」
キラはそして、ごめんねルナマリア、と付け足した。見つめ合ったまま、少しの沈黙が落ちる。
「……ご存知、なんですか…」
「知りはしないけどさ。察することはできるよ。あんまりデーべライナーが自由にしてるもんだから、国防委員長から煙たがられているし」
ルナマリアはそれを聞いてうっと詰まった。
「ラクス・クラインと議長の権力の庇護下にあって。オーブ代表に近い人間だって切り札までもってるって。そんな話でも聞かされたんじゃないの」
苦笑を交えて、キラは滔々といい当てた。
確かにルナマリアはデーべライナーに乗る直前、機密取扱資格を取るためにもどったアプリリウスで、アリー・カシム国防委員長からいい渡されたのだ。“部外者”の好きにさせないようヤマト隊の監視をしろと。実際にはキラが用意したものを、そのための資格と所属なのだとまでいわれた。
もちろん、アリーが疑うようなものがキラにあるとは思っていない。だからこそ引き受けることもできたのだ。むしろ、自分がそうしたほうが、キラを守ることになるかもしれないと。
「内務監査局を動かす正当な理由を探してるってところでしょ。パイロットから外したことで、きみがぼくに対して隔意があると踏んだんだろうね。それともきみがわざとそう仄めかしたりした?」
「……何のお話か、わたしには判りません」
あまりにも見透かされているためにルナマリアは口を噤んだ。この相手に対し、これ以上明かすことはない。無論、本来明かしてはならないことなのだ。キラはそれも理解して自らこうして口にするのだろう。ルナマリアの心情すらも見透かし、もしや、それで彼女が隠していることを負担に思わないように、と?
キラはごまかしたルナマリアを気にすることなく続けた。
「ああでも、アスランのことは多少悪し様に報告してもかまわないよ。早く艦を降りて欲しいし」
「何いってるんですか。隊長の護衛に必要な方です。いてもらわないと」
キラに敵が多いことは確かなのだ。それは、今自分が明かさなかったことひとつをとっても、そうなのだ。そこへ自分自身への風当たりを知りながら駆けつけた人を、どうしてこの人から引き離すことができるだろうか。