C.E.75 1 Feb

Scene デーベライナー・指揮官室

アスランが何を考えているのかまったく判らなかった。
と、そういえば語弊のあることだが、つまりはこれほど周囲に影響のでそうなことを彼があえて手段にするとは、キラは想像すらしていなかったのだ。
「それで、おれはどこにいけばいい?」とアラート脇のロッカー室から訊ねられる。すかした態度に苛立った。こちらの驚きも戸惑いも、怒りも、すべて判っているというようなその表情に。
カメラフレームにある姿は彼の肩口まで映していて、傍で見ていたアーサーが何かをいいたげに荒い呼吸を繰り返す。アスランがここへくるまでにいったいどこで何をしてきたのか。想像に難くない。
とりあえず指揮官室にと呼んだのは彼とふたりきりで話をするためだ。念のためというアーサーの同席を断り、アスランを指揮官室まで連れてきた保安員も必要ないからと下がらせた。

彼を室内に招き、そのままふたりで閉じたドアの傍に立ち尽くす。キラはあらためてアスランの爪先から襟元までを眺めた。
「どういうつもり?」
問われた彼は涼しげな顔でいった。
「───デーベライナーの乗員名簿が、エヴァグリンに漏れた、と聞いて」
キラは一瞬息を詰まらせた。
その真相は、それを報告してきたキサカにその場で話した。確かにキサカに口止めをした覚えはなかったが、アプリリウスの大使館で務めていたはずの彼に、もうその情報が知れて追ってくるなどありえない。ましてや、オーブにあったジャスティスでくることなど。
彼はあのとき───オーブにいたのだ。
「判ったか。おまえのいたずらを監視にきたんだ」
いいながらアスランはデスクまで歩いて行き、そこに持参したアタッシェケースを置くと中から自身の携帯端末を取り出した。それからキラのデスクを勝手にあさり、見つけた虹彩認証用のセンサーをそれに繋ぐ。
「承認を、キラ。ジャスティスの追加配備、艦内での銃器携行許可…それから…」
キラはつきだされた端末の表示を目にして要求されている内容の主たるものを呆然とつぶやく。
「……特務隊アスラン・ザラ…護衛任務…による…配…属…」
それは、アスランが身に纏ってきた軍服を見れば判ることだった。
彼はエリートを示す赤の、ザフトの制服を着ていた。襟には、パールの光彩を放つ白い羽か花弁を模したような徽章も見える。キラの制服にも飾られているザフト特務隊、FAITHの証だ。
「……………」
キラはことばを失った。自分はアスランを、ついにザフトにもどしてしまったのか、と。
「もどるわけじゃない」
青ざめたキラの心中を察したのか、アスランは静かにそういった。
いっている意味は判っている。現在はFAITHの定義自体に変化があり、キラも含めて外部の人間がザフトへの協力のためにその徽章を預かることはめずらしくない。アスランもあくまでオーブ軍からの協力で、ということなのだろう。
だが、彼がその制服をふたたび身に纏っては、ザフトの中でアスランの立場がわるくなるだけなのだ。あるいはオーブの、ものわかりのわるい人間たちに。
「今はまだ、ザフトに属さない者は乗艦できないといわれれば、仕方ないだろう」
「…国連の設立まで待てばいいだけのことだろ」
「待てるものか。それまで誰がおまえを守る?」
キラはアスランの端末に落としたままだった視線をきっとあげた。
「誰だって! ぼくはこの隊の隊長だし、自分でだって自分の身くらい、」
「そのおまえ自身からは誰が守る」
「…え?」
いわれた意味が判らずキラは目を瞬かせた。そこで注視して見た静かなアスランの表情に、わずかだが苛立ちが含まれていることに気がつく。
「自分で自分の身を危険にさらすような莫迦な真似をするおまえを、ここにいる誰が止められるんだ」
プラントと何を取り引きしたのか忘れたのか、と、きついまなざしでアスランはキラを睨んだ。
「“おまえ自身”なんだぞ。それをぞんざいに扱えば紛れもない契約違反だ。そんなことはオーブも困る!」
アスランは明らかにキラが独断でおこなったエヴァグリンへの作戦を咎めているのだ。
キラは心中で舌打ちした。なんという、莫迦な理由をつくったのか。そして、その口実を与えてしまったのは他ならぬキラ自身だ。実際には、アスランは数日も以前からデーベライナーへくるための準備と根回しを進めていたのだろう。そこへオーブとプラントを納得させる決定的な理由を自分がつくってしまったのだ。
「だからといって、きみがくるなんて!」
「おれ以外に、誰がおまえを扱えるんだ」
「こんなこと、許可できない! きみにはシードコードの仕事を任せたはずだ!」
「おれじゃなくても進められる話だ。でもこれは、だめだ。おまえのことは」
アスランは譲らない瞳をしていた。
「おれ以上におまえを真剣に守ろうとする人間はいないだろう?」
握っている両手の拳が悔しさで震える。自分は本当にこの事態を予測し得なかっただろうか。先日まであっさりと引いてみせていた彼を少しでも疑うべきだったのだ。
「きみは……ずるい…っ…!」
「ずるいのはどっちだ」
そのひとことで、仕返しをされているのだと知った。自分の思いを優先しておこなってきたことがすべて許されていると、甘く考え過ぎていたのだ。
彼の心算を見抜けなかったこと、彼を動かしてしまったどこかのラインを見極められなかったこと、そして、結局は彼の思い通りになっていること。すべてのことに腹を立てた。
「……追って評議会からも正式通達がくる。それまでにサインをしろ。いっておくが、作戦にも口を出すからな。そのつもりで下手な考えはあらためることだ」
アスランも深く静かに怒っているのだろう。滅多に見ることのない強引さで、何もかも進めようとしていた。FAITHである以上、制服の色がどうであろうとキラと立場は対等だ。ましてや評議会からの辞令がくるのであれば、キラがこの専任の護衛を拒否することはできない。
アスランがふいに、怒りに震えるキラの手を取ろうとした。撥ねつけて彼を睨む。
「ぼくが嫌だっていうのが、判んないの?」
まるで駄々っ子のような反発しかキラには残されていなかった。
「……離れないと約束したことを、もう忘れたのか…?」
「それとこれとは、」
「同じことだよ、キラ。この数ヶ月だっておれは、がまんなんかできていなかった」
おまえは平気なのか、と問われる。怒りを表した瞳で。
「…ずるい……ぼくは…きみがこんなこと…」
アスランはもう一度乱暴にキラの手を取った。その手に認証デバイスを渡される。キラはのろのろとした動作でひとつひとつに承認をだし、アスランの手にもどした。アスランは黙ったままそれを見守って、自身の端末を受け取ると、少しだけ身に纏う空気を和らげた。