C.E.75 30 Jan

Scene オーブ軍本部〜デーベライナー

この数ヶ月で組織力を高め着実にブルーコスモスの中心勢力となりつつある組織、“エヴァグリン”について、キサカはその動向をここしばらくとくに集中して監視している。
潜入に送っている人員も並の数ではなく、その中枢には至れないものの表向きにはならない動きを何とか探らせることをしていた。
いくらか情報を取り扱う部署に近づけた者がひとりいたが、「驚くほどに漏れていた」という各国の軍事情報のなかのひとつに、デーベライナーの乗員名簿があった──という。
オーブ軍本部棟内にある情報局の一室で、キサカはさきほどから腕組みを解けないままでいた。
「………偽物?」
『そうです、嘘のリスト。こっちで故意にリークしたんです。…そちらに届いたのなら…もう、ゲームオーバーですね…』
遠くにいる通信の相手の顔がふいに苦く歪んだ。
「……それは、つまり…」
『たぶんもう、“むこう”にも偽のデータだってバレてます。それは想定内のことですけど、キサカさんの手元にくるなんてこと……』
この結果は望んでいなかったのだとその表情で判る。つまり、乗員名簿のデータ自体にウィルスを仕込み、情報漏洩の経路とそれを入手した組織内での経路を探ろうとしたのだという彼は、敵の中で偽のリストと気がついた時点で破棄されることを想定していた。それが、さもまだ騙されているとばかりにオーブの情報局にまで届いたのは、彼らがそれを逆手にとる策を弄してきたのだろうという。
『もちろん、キサカさんにぬかりがあるとは思っていませんけど』
そういって彼は少し微笑んだ。はたして信頼されているのか、その逆なのか、とキサカは渋面を表す。
「確かに関わった人間はもう引き上げさせているし、持ち帰ったデータの取り扱いは厳重にしている。隔離して確認し、処分済みだ。それは安心してもらっていい。しかし、そういう作戦は…事前にひとこといって欲しかったのだが…」
『漏洩経路を探るのに自分から漏れる先を増やしてたら正確なデータとれないじゃないですか』
それも、そうだ。
だがキサカは仕掛けた本人のキラからこうして真実を聞くまえに、若干一名を巻き込んでしまったところだった。まずキラに確認をとるべきだったか。しかし、報告を受けたときたまたま彼がそこにいたのだから、それも仕方がない。
「…とにかく判った。あとは処理しておくが…できれば今後も慎重に頼むぞ…」
『はい、ご心配おかけしました』
屈託のない笑顔でそういわれ、キサカはやれやれといった面持ちでキラとの通信を切った。
そのまままずは思う人物の執務室につなぎ、そこにいないと判るとモビルスーツの格納庫で呼び出してみる。そこにいたアスランを「いいからとにかく」と呼び出して、ことの真相を直に説明した。
「───人騒がせな…」
話すうちに少しばかり変化した表情はキサカにも判るくらいの苛立ちを見せていて、大きなため息とともにつぶやきが小声に漏れていた。
「すまんな…」
「あ。いえ、キサカ一佐も巻き込まれたのですから」
そのあと目の前の青年はまるで身内の咎を詫びるように頭を下げた。
「双方で敵だと名乗りあったようなものだが。しかし、こういったことは同盟国間でもままあることだし、このことで今更エヴァグリンがこちらにどうこうということはないと思うが…。むしろ問題はキラ、だ」
コーディネイター排斥を望む組織にとって、プラントは敵そのものであるし、彼らと結んだオーブ連合首長国も同様に疎ましい存在であることは間違いない。しかし、国を相手にけんかをするほどにはまだその組織は小さいものだ。表立って何かをしかけてくることはないだろう。だが、今キサカとアスランが心配するのは、その端を切ったキラ個人だ。
「…プラントは彼を護ってくれるはずではあるのだが…スタンドプレイを果たしてどこまで容認するかな」
「………………」
個人としてターゲットになっているその本人が、狙っている相手に対して刺激するような真似をしたのだ。それを護る周囲に影響があることを想像しなかったはずはない。彼は迂闊なのかもしれないが、何も考えずにおこなったわけではないだろう。
キサカの懸念をアスランは無表情に聞いている。それからわずかに俯かせていた顔をふいにあげてキサカを見た。その輝度の高い瞳を見るたびに、キサカは彼がコーディネイターであることを実感する。
「実は、フラガ一佐からさきほど報告があったんです」
「…それは?」
「大洋州連合のコロニー、“アルテラ”で、問題が起きているそうです。…おそらくヤマト隊がその制圧任務をザフトからいい渡されるはずです」
ああ、これはもう、彼の次の行動は決まったようなものだろう、とキサカは思った。アスランは“片付けごと”のため昨日からオーブへもどっていて、少しばかりまえから始めていた根回しの結果を得たところだった。案の定、アスランは掛けていた椅子からもう立ち上がっている。
「何故そういいきれるのだね?」
「まだ配備まえですし。すぐに動かせます。……それに“それ”が条件なのですから」
護るとしながら前線へ向かわせるという矛盾。確かに最新鋭艦がやすやすと沈むことはないとはいえ、危険の確率の高いところへ向かわせるのは、何もプラントの意向だからというだけではない。──キラもそれを望んだからだ。双方の一致なのだ。
しかし、アスランをはじめ、周りは納得などしていない。
そうしてからアスランが申し出たことに、カガリが渋々ながら承諾し、プラントにいるラクス・クラインなどは双手をあげて歓迎の意を示し協力してくれたという。
アスランは「借ります」とひとこといって室内の通信コンソールに手を伸ばした。
「マードック曹長。準備をお願いできますか。すぐに出ますので」
マードックの返事を受けてから通信を切ると、そのまま彼はドアに向かって踵を返した。
「どうするね、アスラン?」
背中に問いかけたキサカに、思ったよりも冷静な声音が告げる。
「敵の罠には乗らなければこちらも動けない。あいつも、そう考えるはずですから」
「……まさか、そのアルテラの件にエヴァグリンが関わっていると?」
アスランは一度ドアのまえで振り返り、キサカを見た。
「このタイミングで何かが起きたというのなら疑ってみてもいいのではありませんか。それが杞憂ではなかった場合、キラの判りやすい挑発に乗ってくるあたりはますます油断のならない相手と考えられますし…。いずれにしろ、おれは行きます」
まっすぐな眼差しを受けてキサカはふっと息を吐く。目の前の寡黙な青年は、攻撃は最大の防御という若者らしい剛胆な考えとは縁遠い人間だと思っていた。しかし、思い返してみれば、彼は信念のために軍を脱走するほどの、向こう見ずな一面もあったのだ。
キサカは心得て、用意しておいたデータをポケットから取り出しアスランに渡す。エヴァグリンについて、これまで収集した情報をまとめた報告書などのファイルだ。今から国を離れる者に預けるには勇気のいるものだった。しかし、彼は必ずこの国にもどると信じて、それを託す。
「キラはぜったい傷つけさせないと…カガリに伝えてください」
静かにそう告げると、アスランはその部屋から去っていった。


スペースコロニー“アルテラ”は、コロニー開発時代の後期に建造された、L3にある元開発実験用コロニーだ。
L5宙域でのプラント建造計画が波に乗った頃、当時のプラント理事国から構造、宙域的にも不要とみなされ廃棄が決定となったが、開発に協力していた大洋州連合が名乗りをあげ譲渡がおこなわれた。その後、実験施設は撤廃され居住用コロニーとなり、所有する大洋州連合のL3宙域での中継点となった。
近年になり、プラントが資金、資源提供を餌に軍事基地を置いたが、幸いにも二度の戦乱において戦火に巻き込まれることなくすんでいる。
大洋州連合の中のひとつの州として自治権が認められており、公選される知事が統括している。構成する市民は開拓時代からの子孫とL3宙域に関わる職務につく者の家族で、ナチュラルがその中心となっていた。

そのアルテラから、ザフト基地占拠の報せが届いたのは昨日のことだった。
アルテラ政府からは市民テログループによる犯行とだけ連絡があり、基地の詳細な状況はいまだに不明だ。今は、その後の詳報を問うプラントからの質問状に回答をよこしてくることもなく、政府は沈黙している。そのことから行政施設も追って襲撃された可能性が考えられた。
プラント最高評議会と国防委員会は大洋州連合と協議のうえ、プラントの最新鋭艦、デーベライナーにアルテラ鎮圧作戦の指令を降した。
「“市民テロによる占拠”、ですか…?」
キラが不審を含めた面持ちでアーサーに訊ねると、彼も納得しない様子で「とはいってますけどね」と返した。続けて、基地について訊ねる。
「規模はどのくらいなんですか?」
「ただの補給基地で、実に小さいです。おかげで今まで無傷できたともいえますね」
「機動兵器などの配備は?」
「現在は運がよかったといいますか……古い量産型ザクとジン、併せて三十機体ありません。もちろん、戦艦もないですし。まぁもともと、プラントにとってもそれほど重要な拠点じゃないですから。L3には他にちゃんとした補給衛星がありますし」
仮に、“市民テロ”に奪われたところで甚大な被害ではない。気がかりなのは、ザフトの兵たちとアルテラの一般住人だ。キラは小さく嘆息しながらも丁寧にいった。
「テロリストの正体、目的、規模。一切が不明なままですが、とにかくまず現地へいってみなければ、ということです。思いがけない初任務となりますが、よろしくお願いします」
それにアーサーも、「はっ」と折り目正しく敬礼を返した。
進宙式を終えたデーベライナーは、開発がおこなわれていたL4からL5の軍事ステーションに移動し、明日プラント防衛線配備の予定となっていた。
急遽変更された任務とはいえ予定されたことだ。ヤマト隊には常に、防衛線よりは前線配備となる作戦に加わる義務があった。そのうえ配備位置につくまえだったこともあり、今このときに何かが起きれば、すぐに動けるデーベライナーがその任務を負うのはあたりまえといえた。
キラはデーベライナーと僚艦にエターナルを従えて、発進準備を進める。コロニー内での作戦となるため、中隊規模の降下部隊を手配することになった。
「───隊長、本部からです」
急に慌ただしくなった艦に突然入った本部からの通信に、それを告げた通信士がやや期待に満ちた顔をしていた。
「不測の事態に備えて、ジュール隊を応援に回すとのことですが…」
状況が読めないとはいえ、この段階でジュール隊まで送ってくるのは警戒が過ぎるような気がする。だが、「ジュール隊」ということでキラにはひとりの人が目に浮かんだ。
───ラクス、かな…。
ジュール隊は平時にラクス警護の任を負っている。ラクスが何かを進言したのかもしれなかった。だが、キラとしては自分の作戦のたびにラクスの護衛が手薄になるのは勘弁してもらいたいと思った。
「断ってください」
ええぇ?!っと艦長席のアーサーが叫んで、背後のキラを振り返る。キラはそんなアーサーに眉尻を下げて肩をすくめてみせた。
「時間ですね。発進シークエンスに移行開始してください。ブリッジおよび拘束アームを解除」
艦橋と管制におっとりとした声でキラの指示が渡る。アーサーはキラにだけ聞こえる声で「いいんですか、本当に」といった。年若い指揮官が心配であるらしい。いや、年齢というよりは、殺伐とした雰囲気からは果てしなく遠く見える彼の、柔らかな人物像が不安にさせるのかもしれなかった。
笑顔しか返さないキラを複雑に見つめるアーサーの心配をよそに、淡々と発進シークエンスを進める操舵士の声があがった。
「主動力コンタクト、エンジン異常なし。───全ステーションオンライン。…発進準備、完了しました」
キラがアイコンタクトすると、アーサーは気を取り直し艦長席に座り直す。
「機関始動、デーベライナー発進!」