C.E.75 25 Jan

Scene アーモリーワン・ベンフォードパーク

「いっときますけどね! おれはまだ納得してませんよ!」
少し声が大きかったようだ。すれ違いざまに他国の軍人がちらりとこちらを見た。シンは我に返って心のなかであたふたとしたが、前方をいく人物はそんなことに気がつきもしない。ただ何か思いついた方向へまっすぐに足を運んでいる。少しばかり急ぎながら。
メインイベントの終了した会場、このベンフォードパークはまだ大勢の参加客でごったがえしていた。ごみごみとした人の群れの中、シンはどしどしと踏ん張りながら足を運び、どこへ行くとも知れないキラの後ろを護ってつき従っている。
シンが憤るのも、無理はない。
ルナマリアが突然、年を明けてすぐに連休をとるといいだし、進宙式のぎりぎり今朝もどったと思えばその身には緑服をまとっていたのだ。
そのいきさつについてはその場で彼女に問い質した。デーベライナーでパイロットにはなれないから、キラが示した保安部の情報管理官になったというのだ。艦の保安を前提にした艦内監視と情報の収集、作戦中は対外的な諜報活動もおこなうこともある。彼女はキラの判断に応えるために、ごく短期間、つまりその連休で高度な機密取扱資格を取得した。
何が納得できないといって、それなりに深いつきあいのガールフレンドから、そんな重要な話について相談のひとつもなかったことにだが、調子のいい提案をしたキラにも釈然としない。何故いっそのこと、ルナマリアに艦を降りろとだけ命令しなかったのか。
キラは突然立ち止まって振り返りシンを見た。今日の主役だった白服の隊長は制帽を小脇に抱え、「判らない」といいたげに小首を傾げる。その様子は、痩身の体躯のせいもあるのだろうが隊を指揮する人間にはとても見えない。せめて帽子を深く被って幼い印象のある瞳を隠してくれれば少しはましなのに、とシンは思う。
「シンは何をいってるの。シンが納得とか、関係ないでしょ。無関係でしょきみは。ちゃんと話したわけ、ルナと」
あっさりとばっさり切られてシンはさらに憤慨する。そもそもシンが腹を立てているのは彼女と話をしたからなのだ。
艦にはパイロットとして置けないといいながらルナマリアに違った職を勧め、あまつさえ彼女がそれを受けた理由は、「隊長が艦に残って欲しい、っていってくれたからよ」だった。ただでさえ日頃から隊長隊長とあとを追う姿に妬けているのに、彼女が喜びそうなことを口説き文句にして丸め込むなど、シンにとって許されるものではない。
さらに想像するに、そんなことばで勧誘するのは卑怯だとでも指摘してやれば「だってルナに残ってもらいたかったのは本当のことだもん」とでも天然の態で返されそうなことにも腹が立つ。恣意で動いているとは思いたくないが、何かこう軍隊としてのきっぱりとしたものをキラから感じることができず、シンは自分を棚にあげてそこに苛々とするのだ。
「ア…アンタってひとは……! ───ッて!!」
つい、またもや人目を忘れて怒鳴りかけると、突然後頭部をはたかれた。
「シン、公共の場で上官に乱暴な口をきくな。それに後ろががらあきだ。護衛になってない」
「───アスランッ?!」
痛む頭を押さえながら振り返ると、青藍と白のオーブ軍服を纏ったアスラン・ザラが立っていた。式典があったからだろう、今日は飾緒のついた制服に制帽を目深に被り、いつにも増してきっちりとした印象を伴っている。
「ちょーっとぉ、やめなよアスラン」
「! ……む、ごっ!!」
急に何かに口を塞がれシンはうろたえた。真上から聞こえる声はキラのもので、どうやら自分はキラに頭を抱えられる形で拘束されているらしい。目の前にいるアスランの片眉がひくりとあがるのが見えた。
「ぼくの許可なく部下を殴らないでくれる。かわいい ぼ く の 部 下 のね」
キラはいいながら抱え込んでいるシンの頭を撫で回した。シンは手足をばたつかせて逃れるのに必死だから気がつかないが、そのときアスランの視線が剣呑なものになっていた。
「そんな顔しないで」
ことばとともにぽろりとシンを放し、キラは黙り込んだままのアスランに懲りず絡んでいるようだった。キラはにこにこと上機嫌な様子だが、対するアスランは相変わらず表情が読めない。いつ見ても“揃わない”ふたりだ、とシンは思う。
「シン、アスランとタワーのラウンジにいってるね。護衛もういいよ、ご苦労さま」
「…っは、話っ! 終わってませんよ!」
「話すのはぼくじゃなくてルナとじゃないの、この場合」
まったく相手にしないキラを引き止めるべくシンは食いさがったが、にべもしゃしゃりもない返事しかもどらなかった。
今これ以上食いついても仕方がないとは思い、睨む視線で去っていくふたりの背中を黙って見つめる。待ち合わせたふうでもないアスランと、この人出のなか落ち合ったのはたまたまなのか、それにしても申し合わせたように去ってしまったことを不思議に思いながら、揃わないながらも息は合ってるんだろう、とシンは妙な感心をあとからしていた。

実のところ先に顔を合わせたときに、あとでこのあたりで、と細かい時間の指定もない漠然とした約束をしてはいた。この人混みでアスランがキラの姿を見つけたのはかなり低い確率の中からのことだとは思う。しかしアスランは幼少の頃からキラを見つけるのはうまかったので、ふたりのあいだでアバウトな待ち合わせは有効だ。
「いいのか、シン…。放っておいて」
「いいんじゃないの。妬いてるだけだしあれ」
今のきみみたいに、と追加するとアスランはあからさまに不寛容な顔つきを見せた。どうも今日のアスランは機嫌がわるいらしい。午前におこなわれたスレイプニルでの進宙式で久しぶりに会ったときからそんな雰囲気を漂わせていた。キラがふざけてシンを抱え込んだときの彼の顔ときたら、本人に鏡をつきつけてやりたいくらいの表情をしていた。こういうときはあまりふざけ過ぎてもからかっても、アスランは始末に終えなくなる。ほどほどにしておくべきだろうとキラはそこまでで沈黙した。
「……出航は…二〇フタマルだったな。今日はもうこのまま艦にもどるのか?」
「うん。そのまえにアスランと食事とかするのが裏のスケジュール」
「なんなんだよ裏って…」
アスランのつぶやくようなつっこみにもちろん返事はかえさない。実際、“ザフトのキラ・ヤマト”としてそれを予定表に書くならば、その項目は“オーブ軍アスラン・ザラ准将と会食”となる。このあとの彼と過ごす時間をそんな仰々しいものにしたくなくて、キラはわざと予定にいれなかった。

機嫌など、キラもいいはずがない。
このあとヤマト隊はデーベライナーでL5宙域のザフト軍事ステーションへ移動し、いつでも最前線へ向かうことができるよう、そのまま防衛線上での待機命令がでている。このあと艦に乗ってしまったら、当分のあいだ───数ヶ月はずっと艦上生活となる。せいぜいがステーションに碇泊するくらいで、プラントにもどることはたまにしかないだろう。
つまり、今日アスランと別れたら、次に会う機会をもつことがかなり難しい日々が続く。
離れたくない、放さないと心に決めたことを、遠くに感じていた。今キラがここにこうしていることも、彼自身で決めてそうしてきたことだけれど、アスランを目の前にするともう何度目か判らないほどの後悔が押し寄せる。
そんな本心をアスランに悟らせるわけにいかず、キラは声に明るさを含ませていった。
「シードコードの準備はどう、順調?」
「ひとに押しつけておいて、よくそんな…」
「心外だなぁ。信頼して任せてるのに」
キラはSEED研究開発機構から現状は退いている。デーベライナーもあくまで所属はザフトの艦で、研究協力という形で機構に関わっていく。研究のためにキラは自ら前線へいく必要があるけれども、傍にいたいがためにアスランをそれに巻き込むことは絶対に避けようと思っていた。そのために機構運営の重要な位置を彼に任せることにしたというのが、真実だ。運営側の立場、オーブ軍准将のままでいれば、現在の落ちついた情勢のなかでなら彼が戦場へ向かう確立は果てしなく低い。
キラの心に、それはアスランに対しての裏切りだと思うところは少なからずあった。もしもキラが彼で、彼が同じことを考えていたとしたら、キラはそんなことを絶対に許せない、と思う。勝手なものだと感じながらも、キラが選んでしまった場所へアスランを連れていくことはどうしてもできない。たとえ、彼に許されなくても。
アスランが何も察していないと思ってはいなかった。それなのに彼はどこか諦めた態で、傍にいても凪いだ静けさだけを感じた。もう呆れられて、嫌われかけて、いるのかもしれない───。
自分の考えにぞくりと身を震わせていると、ふいに腕を引かれる。
「キラ?」
どうやら向かうべき方向から足が少し外れようとしていたらしい。アスランは少し怪訝な表情をうかべたがすぐにそれを消し、引いた腕をそのままにキラを公園脇に陳列するVIP用エレカに誘導した。
その様子をそこにいたポーターがぽかんとした顔で眺めてくる。それでもアスランが視線で促すと、慌ててエレカのひとつのドアを開けた。
キラを先にして乗り込みドアを閉じると、アスランは慣れた手つきでナビを操作し、シャフトタワーの入口を行き先に設定する。巨大なタワーまでそう離れていないようにも見えるが、それでも到着までの時間は五分と表示された。
「変な顔されちゃったね」
「おまえがぼうっとしてるからだろ」
滑るように走り出すエレカの中、それからふたりは何ともなしにしばらく黙り込む。
何かいいたいことはあったはずだが、今あえてというほどのことはない。おまけにふたり揃って機嫌がわるいのだし、会話はこのあとも弾まないだろう。出航までの短い時間をこうして無為に過ごしてしまうのはもったいないと思うが、そしてあとから後悔もしようが、仕方がないと感じた。
「……もう、行くなとはいえないな…」
思うほどに続かなかった沈黙を小さなつぶやきで破ったのはアスランのほうだった。
「うん…今いわれても、困るね」
「………困るか…?」
それまで正面に向けていた彼の顔がキラのほうへと動いた気配がした。キラは車が進む方向へ視線を据えたままどう返せばいいのかと考える。防音とスモークの窓ガラスで外界と遮断された、ふたりきりの空間。広いシートの意味なく身体を近づけて座り、さらにアスランは投げだしているキラの左手に指を絡めていた。その指先も、視線も熱くて、キラは落ちつかない。
「困るよ。きみと一緒にいたいもの」
怒らせるのを覚悟のうえで本心を告げると、絡めていた指は恋人つなぎの形になった。
「キラ」
アスランがさらに身を寄せてきて、キラの耳元に囁きかける。こちらを向いて、と脅迫に近い空気を感じていたたまれず、キラは落とし気味の位置からゆっくりと視線をアスランに向けた。目を見ず口許にそれを流すとさらに彼が迫ってくる。アスランの制帽がキラの頬をかすめて落ち、額どうしが、こつり、と当たった。
「…覚悟が鈍るようなことは、しないほうがいいか?」
静かに訊ねながら合わせた額を擦りつけてくる。覚悟とは何の、それが鈍ることとは何、とキラは思考が動かない。アスランは返事をまたずにキラの鼻先に唇で触れ、頬に小さく音をたててキスをした。
「ア、アスラ……」
咎めようとようやく視線をあげたが、相手は瞳を閉じていて、額や眦、頬をキラの同じ場所にぐりぐりと押しつけている。犬か猫か、動物が甘えるような仕草につい笑いがこぼれた。
「…アスラン…」
それに応えて彼の口許も少し緩んだ気配がする。変わらず目を伏せたまま今度は鼻先を擦りつけられた。「キラ」と声にならない囁きを感じて、その次の瞬間にはもう唇を重ねられていた。
少しして一度唇が離れると「あと二分」とこの場の残り時間を聞かされる。それに弾かれるようにキラが腕をあげてアスランの首に巻きつけると、アスランはさらに深く、唇を合わせてきた。