C.E.75 21 Jan

Scene L5宙域・高速宇宙巡洋艦ベルギウス

「“ベルギウス”へようこそ、ラミアス大使」
見た目にはものものしい軍事ステーションのブリッジの先に、プラント最高評議会議長、タッド・エルスマンの柔和な笑顔があった。
「ありがとうございます、議長。ご同道させていただきます」
笑顔を返しながらマリューがいう。今や軍人ではない彼女は敬礼ではなく握手で議長に応えた。
いくつかの挨拶のやり取りを終えたあと、アスラン、ムウ、マリューの三人は、議長みずからの案内で宇宙巡洋艦ベルギウスに乗艦した。
数日後、L4宙域にあるアーモリーで新造戦艦デーベライナーの進宙式がおこなわれる。オーブもその開発協力に携わったとして、当然ながら大使館に務めるアスランたちも式典に参加する。同じくアーモリーへ向かう議長が乗る艦に便乗させてもらい、これからアプリリウスを発とうというところだった。彼らの乗艦をもってベルギウスは発進した。

艦内ラウンジで小休止したあと、係官の案内で三人は議長が控える個室兼執務室へと通される。アスランは数日前から議長に会談を求めていた。今回の同行は、約二日間の航行日程を誰もが無駄にできない立場で有効に使おうという議長の好意だ。
まもなく案内された執務室に足を踏み入れると、そこには圧倒する景色があった。ドア正面の壁一面がディスプレイになっており、そこに巨大なガラス窓があるかのごとく、そのままの外の様子を映している。艦橋で見慣れたものとは違い、どこか実感を伴わない映像だ。
星の光点が散らばる宇宙空間には並走する護衛艦艇がいくつか見える。それらの中にはイザークの艦、ボルテールもあるはずだ。今、アスランたちが乗るベルギウスには、ラクス・クラインも乗っているからだ。
「お互いに忙しすぎるようですね。我々が過ごしているプラントではなく、このような場所になってしまうとは。でも、プラントでするよりも時間的な余裕があります、面白いことに」
タッドが苦笑まじりにいう。それからアスランに視線を向けた。
「あとでディアッカがこちらにきますよ。あの子にも久しく会ってないのでは?」
「───ええ。そう、だったと…思います」
少し考えながらアスランは答えた。ディアッカたちジュール隊は、ラクスがアプリリウスから出ない限りはボルテールで防衛線配備だ。プラント内にもどることはあまりなく、いわれて思い出せば、確かに久しぶりに顔を見ることになる。
タッドのいう通りに時間的な余裕があるためか、しばらくそのような談笑を交わす。雑談からそのままオーブ情勢の話題になり、気がつくと本題に入っていた。アスランはタッドにメンデル再開発の方向性についての考えを訊くつもりであった。

かつてメンデルは、L4宙域において「遺伝子研究のメッカ」と呼ばれた。
各国の遺伝子工学研究機関と民間の研究施設が多数存在し、なかには法を逸脱した研究もいくつか存在して、その中でキラは誕生し、ムウの父アル・ダ・フラガのクローンも生み出されたのだった。
ロゴス解体でブルーコスモスの影響下にあった地球連合の弱体化が進んだことをきっかけに、にわかにコーディネイター開発再開の気運が高まっている。もともと、宇宙開発の要として今も将来もコーディネイターの能力が欠かせないことは、誰もが理解をしていたことだ。
だが、それを受けてブルーコスモスの草の根組織が活動を活発化させ、組織強化と抗議活動が目立つ状況ともなりつつあった。プラントを含む各国と企業が資金を提供し、メンデル再開発に動き出したことは、それらの対立と混乱を拡大させることにしかならない。
「ザラ准将の懸念はよく判っています。ただ、我が国がプラントである限り、あの地が必要なのです」
実際コーディネイターの“開発”というものはメンデルを中心におこなわれてきたのだ。遺伝子形成の問題から第三世代が生まれ難くなっているその解決に、彼の地を求めることはプラントにとって当然のように思えた。
「──ただ、…そうしてまた世界から孤立する道を選んでしまうようなことが、わたしには疑問なのです議長」
“コーディネイター”だから、と。それが行き場を失い、国を形成するまでに至った。孤独と血で重ねたこれまでの道を知りながら、むしろそれを経験しながら、何故いたずらに世界を刺激するのかとアスランは思う。人類はまだ未熟で、遺伝子という深淵に手をつけるには早かったのだと、思い知らされたのではないのか。ただ、それらはアスラン自身の思いであり、またナチュラル回帰に傾倒しているからこその考えだった。
「きみは、ただプラントに住んでいるということが我々のイデオロギーを支えると本気で思っているわけではないでしょう」
「……それは…」
難しい顔をして黙り込むアスランをそのままに、タッドは続ける。
「…かつての最高評議会議長が、我々を“新たな種”と呼んだが…」
父親の驕った発言を指摘され、アスランの口許がわずかに震える。それまで静かに会話を見守っていたムウが「議長、」と声をかけるのを、タッドは手をあげて制した。
「それは間違いではないよ。真実でもないかもしれないが。それを認めて存続する道を探さねば、地球連合がおこなってきた道具としての開発を自ら認めてしまうことになる」
国家としてただ存在しているだけではなく種族としての確立を果たさねば、そうして秘密裏に開発される戦闘用コーディネイターの行き場もなくしてしまう。望まれて生まれて、道具として使われて捨てられて。その先の道を与えられない者たちを救いたいと、コーディネイターであれば誰もが思うはずだった。
「世界から孤立するとは思っていませんよ。そのために結んだ、オーブとの同盟ですから。ただ、コーディネイターはやはり、コーディネイターでしかありえないものです。アイデンティティを失うわけにはいきません。何故生まれてきたのか、という」
アスランは自身がまたひとつの方向ばかりを見ていたことに気がついた。そうしていつまでも父親の影から逃れきれていないことに嘆息する。
───議長…いや、プラントのこの考えを認めなければそれは……。
キラを、貶めることになる。気がついてしまった以上、認めないわけにはいかなかった。
「理解します、議長。…自分は…父がいまだに恥なのです。彼が誇りに思ったことを貶めようとするのは、自分がいたらないからでした。お詫びします」
そのことばにタッドが一瞬目を瞠った。すぐにもとの柔らかな表情になり、「きみは聞いていたとおりの人物のようだね」といった。ディアッカの顔をすぐに思い浮かべたが、彼がアスランをどう評して目の前の議長に語ったのかは想像できなかった。
「いや、しかし。プラントに孤立されたら困るのはこちらのことでね。立つ瀬がないっていうか。そのために、こうした意見は今後もいわせてもらいますがね」
ムウがいつもの軽い調子でアスランのあとを継いだ。アスランが驚いて彼に少し視線を向けると、ムウもアスランをちらりと見て微笑んだ。その横でマリューがさらに続けている。
「もちろんそのための協力も惜しみませんわ。問題が多いことには変わりないですし。第三者機関も必要になるでしょう」
「この場で約束はできませんが、その準備に我々が協力ができないか、代表に話してみますよ」
ムウの提案に、それはありがたいことです、とタッドが破顔した。
「むしろこちらから、オーブに協力要請を願おうかと思っていたところです。実はひとつ提案がありましてね」
アスランは「え、」とタッドの顔を見た。次に、隣にいるふたりと顔を見合わせる。
「シードコードの拠点を、メンデルではどうか、と考えたもので」
シードコード、SEED研究開発機構は現在のところ代表を務めるマルキオのいる国、オーブ連合首長国にその事務局がある。設立まもないこの機関は、具体的な研究施設や拠点など、どこにまとめるかが検討されている段階であった。SEEDの特性を思えば、それは地上より宇宙、コロニーであることが望ましかったが、参加する研究者、学者の多くは、ナチュラルであったため、地上での検討が中心となっている。メンデルという考えがおよんだことはなかった。
「なかなか面白いですな。進化と“人工進化”を、同じ場所で研究、ということですか」
ムウが揶揄する。だがそれは判りやすく的を射ているともいえた。
「メンデルを遺伝子操作技術の研究にだけ充てれば、それはそれだけのものになるでしょうし。ふたつの研究が影響し合うことが考えられます。もちろんよい方向にばかりとはかぎりませんが。たとえば、シードコードの発展がもうひとつの研究を凌駕していくことになれば、それこそが、ザラ准将の望んでおられる状況に近づくのではないですか?」
アスランはその最後のことばで、心の裡をすっかり見透かされていたことを知り苦笑するしかなかった。