C.E.74 24 Nov

Scene L4・スレイプニル第七ドック

アスランは到着したL4のプラント中継ステーションから、アーモリーへはいかずにそのまままっすぐデーベライナーのあるスレイプニル造船所へ向かった。L4を訪れた目的はデーベライナー建造の視察だが、今日は移動日でスレイプニルへいく予定ではない。しかし、キラがそこにいることを知っていて、おとなしくアーモリーでただ待っているなどできるわけもなかった。
他国の軍事工廠ではあるが、キラの行動圏内であれば関係国武官の彼でもある程度自由が利く。予定がなかったにも関わらず、スレイプニルへはIDの提示と生体認証であっさりと入所できた。ゲートを通ったあとは所内のマップを渡されただけで、付き添い兵のひとりもなく歩き回ることが許される。とはいっても入口から内部まで、実は隠しカメラが無数にあってシステムと人の目による監視が常時おこなわれ、高機能の多重センサーも各所に張り巡らされている。開発現場などというものは機密があるに決まっているのだから、神経質なくらいの設備はその他にもいろいろと備えているはずだった。
アスランは監視の目があることを意識して寄り道をせずまっすぐにデーベライナーのある第七ドックへと向かった。

船体の格納スペースの一角、宙に浮くように突きでた展望室の窓からアスランはデーベライナーを見下ろした。
新造艦のドックはそれ自体ミサイルの直撃に耐える外壁に囲まれ、内部は無重力状態を保っている。船体を固定する巨大なアームや無重力エリア用のクレーンなどが邪魔をして、その巨体の全容を見ることはできないが、確かにもうこのまま宇宙へ航行できそうな完成された姿であることは判る。
シルバーとアイアンブルーのツートーンはこれまでのザフト艦に見なかった配色だ。全長415メートル、全幅170メートル、重量92万トン、デッキ数16、乗員約160名。搭載可能なモビルスーツは6機。ストライクフリーダムなどハイパーデュートリオンエンジンをもつ機体運用を前提にした艦なので、核エンジン整備に必要な設備と、エターナル同様それらの機体速度に随伴可能な速力をもっている。
これほどの艦に拝めることもそうないだろうが、特筆すべき部分は外側からは見えないデータ集積コンピュータとその運用システムのほうにある。公式には戦艦で、それも事実ではあるが、非公式にはSEED研究に必要なデータの収集分析をおこなう移動型の研究施設といえた。
工廠の人間にはよく知られたその事実も、この艦の搭乗員であるヤマト隊の兵のほとんどには、その実態をまだ知らされていない。そのため、キラが許可する一部の兵以外はヤマト隊の人間でもここを訪れることはできない。
「アスラン?」
許可のあるそのひとり、シンが展望室へと入ってきた。この部屋は格納庫に通じているので、所内からの通路替わりにもなっているのだろう。休憩もどりであるらしく、その片手にドリンクを持っていた。
「いつのまにきてたんすか。声かけりゃいいのに、こんなとこで、ひとりで」
視察の予定は聞いているはずだったが、一日早い訪問には多少なり驚いたようだ。声音はいつものつっけんどんな調子なのに、目だけはまだびっくり眼でいる。その様子にアスランは少しばかり笑みがこぼれた。
「ああ、少し、外側を見ていたかったから。……ヤマト隊長は?」
呼んできます、というのをすぐに引き止めた。キラの集中を邪魔したくない。ここにいることが判ればそれでよかった。

シンはそのまま去らずにとどまり、アスランと一緒にデーベライナーをしばらく見つめた。
ただの話題のつもりだったのだろうか、シンは視線をそのままに「こないだフリーダム乗ったんですけど」と、ぼそりといった。
「フリーダムに?! …乗った?」
詰問するようなアスランの問い返しに、シンは思いもかけなかったというような表情になる。
「…ちゃんと隊長の許可はもらいましたよ…」
「………………」
アスランは再び展望窓の外へ視線を落とし、静かに聞いた。
「──それで…どうだったんだ。乗った感想は」
「………そりゃ動かすことはできますけどね。あれで戦闘は無理ですね。…おれは」
パーソナライズされた機体はそれだけで他人が動かすのはきつい。個々人の身体的な特徴と癖、自身でも気がつかないレベルの神経系に合わせた調整などが施されている。
「そういうのを省いて、無理ですよ。おもに反応系統の基準値がふつうじゃなくて。機体をもてあます感じ」
アスランはわざとごく一般的な最適化の結果をいったが、シンはごまかされなかった。あたりまえだ、あれはパイロットであれば、すぐに気がつく。──“異常”だと。アスランはキラの無防備な態に心の中で舌打ちをした。
ストライクフリーダムはキラだからこそあの動きが可能なのだ。彼の搭乗を前提に操縦性を排除された高性能機が、優秀とはいえふつうのパイロットに扱えるわけがない。
「あれで隊長に最適化されてる機体なんだっていわれたら、隊長がそんだけとんでもない反射神経を持ってるってことじゃないですか。それと、戦闘中あんなに反応がいいのに、感知系装置のスペックが低くて。よっぽど勘がよくなきゃ──」
急にことばをきったシンは、青ざめて見えるアスランの顔色を窺うようにしながら、次のことばを継いだ。
「まさか隊長って、戦闘用コーディネイター…とかじゃないですよね…」
追い打ちをかけるシンの問いにアスランは息を飲む。その場で身じろぎもできず、返事もできず、ただ黙ったままきつく目を閉じた。シンはアスランのその様子を目にしながら、ことばを止めない。
「地球連合で造られてた、ってのは知ってますよ…そういうのが」
それはコーディネイターに対抗するために造られた、という矛盾した存在だった。彼らは服従遺伝子を操作され、ナチュラルに敵対行動をおこすことができなくなっているともいう。キラが地球連合軍に所属していた過去なども知って、シンはそんな想像を働かせたのかもしれなかった。
「…まぁもし隊長がそんなんだったら、おれなんかに…明かすこともできないもんでしょうけど……」
どう答えればよかったのか。シンは何を期待してそんなことをいうのか。
当たらずとも、遠くは、ない。キラは───嫌ないい方をすれば、そのスペックは最高のチューンナップが施されている。何も戦闘に発揮する能力のみではなく、そのすべてが。そしてその設計図どおりに生を受けた、唯一成功の存在、最高のコーディネイターだった。
「シン…」
「……なんすか」
「その話、他の人間にはするな…」
アスランは否定も肯定もせず、そういった。そう、いうしかなかった。
「他人にはハナから話す気なんてありません。あんた以外に」
シンは不機嫌を現してそういった。真っすぐな赤い瞳には少し険がある。
思えば彼にはキラを護るように一方的に頼み、アスランにそうまでさせた本当の理由も話すことはしていない。利用だけして、気づかれたくないことに気づかれ口止めを強いて。むしのいい話だった。しかし、「秘密なんでしょ。判ってますから、そんくらい」とすぐに引き下がる様子は、初めから明かされることを諦めていたともとれる。
「……すまない」
奇妙に理解を示すシンの反応に必要以上に声が硬くなった。
アスランは今更ながらにキラの傍にいられないことに焦燥する。自分がもっとずっと彼の傍で守ることができるのなら、シンに頼むこともなかった。ましてやフリーダムに乗せるなどその場で止めもしただろうに。
アスランは俯いて、デーベライナーを眺めるふりで視線をさまよわせていると、ふいに横から聞き捨てならない独言がもれ聞こえた。
「…夢の子供、か……」
はっと目をあげて、つぶやいた者の顔を見る。シンはただ無表情に、デーベライナーのほうを見つめていた。
───知ってていったのか、それとも…?
それを問うことをためらっていると、シンの視線がはっと動き、「おれ、声かけてきますから」といってその場を去ってしまった。シンの見ていた先を見れば、キラが艦からでてきて手近な工員と話をしているところだった。

呼ばれた声にキラが顔をあげると、その先にある展望室の直接ドックに続く扉からシンが近づいてくるところだった。その視界の端には見慣れた、でも久しぶりに見る姿も映される。自然に嬉しい思いが微笑みにうかびかけるが、展望窓に見える彼のその表情がくもっていることに気がついた。
「隊長、アスランが…」
「…うん…見えてる。ごめん、あと頼むね」
シンと工員にいい置いて、展望室へ向かう。近づくほどにアスランの不穏な様子がはっきりとしてきて、キラは心を沈ませた。
彼がL4に今日到着することはもちろん知っていたから、キラは今日の作業をできるだけ早く切り上げようとさきほどまで根詰めていたところだった。アスランがアーモリーで休むこともせずにまっすぐこちらへくるのは、予想するまでもなく判っていた。だから、彼が到着したら自分が艦を案内するつもりで心待ちにしていたのだ。
何が彼を怒らせているのか判らない。さきほどまではずませていた気持ちをどうしてくれるのか、と恨みながら展望室の扉を開くと、アスランはすぐに詰め寄ってきた。
「どうしてシンを機体に乗せたんだ!シンは気がついたぞ?!」
先日請われるままフリーダムを貸し、シンが受けたであろう感想のことをいっているとはすぐに察した。いきなりの剣幕に少し驚くが、逆にその彼の姿に自分の気持ちのほうがすっと冷めてくる。
「隠す必要、ない」
「どうしてそう、いいかげんなことをするんだおまえは!」
「アスラン、シンを信用してないの?!」
裏で自分に黙って、頼みごとをいう相手を。
「そういう話じゃないだろう! 知る人間が増えれば、どこかからそれがもれていくってことを想像もしないのか、おまえは?!」
「────そんなふうに縛られるのは嫌だって、いったでしょまえにも」
少しの沈黙のあと低く告げると、アスランはぐっと息を詰めた。
ぐいと視線を逸らして俯く。彼自身、疚しいことがある証拠だった。彼が望むとおりにならない現実の理不尽に、感情が何かにあたらずにいられないのだろう。
大切にされていることは痛いほどによく知っている。だが、キラにとってはアスランが思うほどにキラ自身が大切ではない。ある意味においては、死を恐れる気持ちも、もうどこかにいってしまっている。そうして達観しているがゆえにおこす行動が迂闊だというのなら、彼にとってはそうなのだろうとは、理解しているのだ。
「…アスラン………怖い…?」
怒らせていた瞳をはっとしたものに変えて、アスランはキラを見た。
「……怖いの? アスラン」
かわいそうに、とキラは思う。こんな自分のために振り回されている彼が。
キラは格納エリアからの入口に佇んだままだった身体を動かして、アスランに近づいた。唇を噛みしめてキラを見つめているアスランの背中にそっと腕をまわすと、反射的に動いたらしい彼の腕が、それでもぎゅっと力強くキラの身体を抱きしめてくる。ゆっくりとぬくもりが伝わってきて、冷えたキラの心に少しばかりの熱を移した。
「……キラを守りたいんだ…なのに…」
何をしているんだおれは、と耳元でつぶやきがもれる。
「シンは大丈夫だよ」
「……判ってる」
抱きしめる腕を緩めてアスランの顔を見ると、哀しみをたたえた表情をしていた。その奥に、焦燥と嫉妬と悔恨…というさまざまな感情を押し隠して。
いっそ、すべてぶつけてくれればいいと思う。キラは彼の気持ちを理解できず、いつもその感情だけを受け取ってしまう。心だけが通じればそれでいいということではない。ことばの説明と説得が欲しいときもある。
そしてそれは、シンに対しても同様だろう、とキラは思うから───。
「アスランが話して。任せるから」
キラは口許だけに少しの微笑みをのせて、そうアスランにいった。両手を添えている彼の肩と腕から力が緩むのが伝わる。
「……キラ」
縋るような声だった。だがキラはアスランを展望室に残したまま所内への通路に出る。受け止めてしまったものが重く、この場で彼を慰めることもできそうにない。けれどすぐにその場から逃げることもできず、閉じた扉を背にとどまった。
「───っ」
キラはこみ上げてくる嗚咽を堪えた。ダイレクトに伝わるアスランの感情はいつも、つらいものだった。
彼の心の奥底にはいつもキラを討った──殺したときのしこりがあって、それを繰り返すことなど考えるべくもないことなのに、ただその過去の事実だけが、痛みとか重みとか、嫌なものとなって、消え去る気配もない。
キラもときどきは、アスランを殺したいと思うほど憎んだときを思い起こして吐き気に見舞われ、実際に吐いてしまうこともある。
ふだんは見えないところに隠れているものがそうして表れるたびに、キラは彼の感情のひとつの可能性を疑ってしまう。アスランのキラへの恋情に嘘はどこにもなかったが、罪悪感というものが歪んで偽りの形を結ぶこともあるのではないのか──と。
いたたまれずに、泣き叫んで彼を殴りつけたいとさえ思う。自分がこんなにも彼に囚われていて、彼のために自分が生きる理由すら探しているのに、そうして何もかも放り投げたいことに無理をしているのに。
はっきりと信じきることもできない自分と、重いだけで信じさせてくれない相手のもどかしさと、全部、すべてをどうにかしてしまいたかった。

それからあとの、何もかも流れてしまった今日の予定のなかで、キラが寝起きするコンドミニアムにアスランが訪れたことは現実となった。そうして、訪れるなりに抱きしめられることも。
「キラ」
その夜のアスランはわがままをするばかりで、呼ぶ声もただねだるだけのものになっていた。
二度びの交接に手加減がなかったことをうらめしく思いながら、キラは隣で息を整えるアスランの顔をそっと窺う。瞼は静かに閉じているのに、薄く開いた唇からは熱の名残がこぼれていた。
絡んだままの──ずっと絡めていたままの指にだけは、いつまでも力が籠められていて、まだキラに意識を集中していると判る。
「アスラン」
呼べばますますその手を強く握られて、追うように瞼があがる。覗いた翠の瞳が静かすぎて、キラはどきりとした。
「すまない。無理をさせたな」
もうアスランの感情から何も読み取ることはできなくなっていた。
蓋をすることが得意になっていく彼とそうさせている自分に、キラは初めて危うさのようなものを感じる。離れて暮らすことに不安はなかったはずなのに。たぶん、だめ、なのだ。おそらく、アスランのほうが。
気がついたことに戸惑っている隙にアスランはベッドから抜け出し、キラの手を引いた。
「おいで。お詫びする」
バスルームへ向かうと判り「どういうお詫びだか」と無感動にこぼれたことばに振り返って、アスランは微笑んだ。いつものような優しい空気で。こうしていつも、自分のほうが彼に無理をさせ続けている。
「……シンには明日話す」
あれからアスランはシンに会うこともなくアーモリーにもどったのを知っている。ためらっているのではなく、タイミングの問題なのだろう。