C.E.74 9 Nov

Scene L4・スレイプニル第七ドック

スペースドックの一角にあるモニタールームに人だかりができていた。そこへ集ったのはほとんどがエンジニアで、複数あるモニターのひとつが映す外部カメラの映像に皆して注目していた。六十五インチのディスプレイに映る光点は一見するとめちゃくちゃに動いているように見える。技術主任も彼が何を思ってああいった動きをするのか判らないようで、しきりに首をひねったり、滑稽に見える瞬間もあるのか、ときには笑いをもらしたりもする。
光点を持って動く機体は最新鋭のモビルスーツ“バッシュ”で、シンが受領することがすでに決まっている。搭乗パイロットであるシンがいまだにその機体に乗ったことがないのは、開発チームの責任者からその許可がまだ出ていないからだった。
その責任者とは、今バッシュを操っている白服のパイロット、キラ・ヤマト。不規則な動きのなかで一瞬止まるのは、そのあいだ彼がオペレーションシステムを見直しているからだ。そんな作業をしているのかと思えるほどの、ほんの数秒間。誰もが舌を巻くスピードだ。
シンには、キラがその機体を動かす不規則なリズムについても理解している。彼の視界にはおそらく仮想の敵がいくつもいるのだ。それは同じモビルスーツかもしれないし、あるいはモビルアーマーや戦艦だろう。概ね厄介ともいえる機動兵器を想定しているのだろうが。
ふつうであれば、シミュレーターか模擬戦を通じてその調整をおこなうはずだ。だが、それではパイロットの手も借りねばならず時間もかかるから、とキラはひとりでバッシュを持ち出し、見えない敵まで周りに配置して、そうしながらワンオフだというオペレーションシステムの調整をすすめた。一度はそのシステムのほとんどが入れ替わったかのようなものに仕上げてきて、技術主任を泣かせたこともあった。だが、そうしてあとから手を加えるほどに、不思議とブラッシュアップされてくる。プログラミングにおいて、それはあまりあり得ない。元の仕様設計を崩して書き換えるなど、どこかに齟齬が生まれるようなものなのに。
───ああ、それはね。ほとんど勘だよね。
訊けばそうあっさりと返されたことがある。ロジックで組み立てるものに“勘”というのもおかしな話だ。実際には経験則からくるひらめきだろう。それを勘ともいうかもしれない。何しろ、キラは趣味が高じてというにはいいわけにならないくらいのプログラミングやハッキングの経験がある。

気がつくと外部カメラの補足範囲からバッシュが消えていた。エンジニアたちも三々五々、モニタールームから出て格納庫や設計室へと散っていく。シンもそれに倣ってモビルスーツ格納庫へと向かった。
まもなくその格納庫のハッチからバッシュがもどってきた。メンテナンスベッドにおさまると、ブラックとメタリックブルーの装甲はディアクティブモードになり、エンジンのうなりも消える。ややあって、そのコックピットから白のパイロットスーツがするりと姿を現した。
地味な彩色の格納庫内にぽつりと佇む赤服は目立つ。そのシンに気がつくと、キラはヘルメットを外しながら身体を流してきた。
「……お疲れさまです」
敬礼して迎えたシンにキラは「早く乗りたい?」と訊いてくる。答えるまでもないことを、と思い、シンは返事をしない。
「明日から乗ってもいいよ。なんとか人が乗れるくらいには動くOSになったから」
キラはシンの横で、バッシュを見上げながらそういった。
───それじゃあなたは人じゃないんですか。
うっかりとそんなことが口をついて出そうになる。もちろん冗談なのだが、そうならない事実もある可能性をシンは先回りして考えていた。

アーモリー市第一区にあるアーモリー基地はザフト設計局の拠点となっており、戦艦やモビルスーツなどの兵器開発がおこなわれている。モビルスーツはアーモリーの各区内で建造されるが、戦艦についてはミネルバ以後アーモリーの同一軌道上に位置するスレイプニル造船所でおこなわれていた。スレイプニルは複数のスペースドックで構成され、常にいくつもの戦艦が同時進行で建造、修理されている。
ヤマト隊の旗艦デーベライナーは、そのスレイプニル第七ドックで建造されている。同じくバッシュもアーモリー基地からこのスレイプニルへと移動され、宇宙空間での最終的な調整がおこなわれていた。
「ストライクフリーダムも持ってきたんですか。……あれ、乗ってみても、いいすか?」
キラを待つあいだ、バッシュがある格納庫とは別の棟にフリーダムがあるのをシンは見つけていた。パイロットであれば最強の機体に興味がわくのは当然のことだろう。ましてやシンには、対峙したこともある因縁の機体だ。
「いいよ。でも、面白くないよ。きみには」
キラ自身がつまらなそうな顔をしてそういったが、シンは面白いかどうかは本人が決めることだと心の裡で思う。
「そんなことより、渡した契約書はちゃんと確認した?」
「……まぁ、一応。こっちにもどった日には…」
「──なんだ。だったら早くサイン返してよ」
何もたついてんの、とキラに非難する顔でいわれて、シンは嘆息した。もうまるきり、契約書にシンがサインすることがあたりまえのように彼がいうからだが。確かに、シンはサインをするだろうし、それを拒否できる状況でもないことは判っていた。しかし突然の話に、少しくらい逡巡する時間くらいはくれてもいいだろうとも思う。

キラは約束どおり、アーモリーへつくまえにヤマト隊やシンの今後のことについてなどの話をした。
デーベライナーを中心にして、ヤマト隊には“SEED研究開発機構”という国際協力組織の要になる任務があるということ。そして、シン自身もその組織の人間として身分を移され、さらには披検体としての協力を望まれているということ。キラにせがまれた契約書はそういったことへの同意を示す書類だった。
現時点でSEED研究開発機構は、プラントとオーブの共同声明プロジェクトという位置づけだが、正式な組織始動にはそれを離れる。地球連合が組織再編のうえふたたび国連へと姿を変え、その下の機関となることまですでに決まっているのだそうだ。
「つまりぼくたちは国際公務員になるの。お給料もよくなるし、老後の生活も完璧に保証されるし、いいことずくめなんだけどな…」
「………いいかわるいかは、おれが決めることじゃないんですか」
「…だって、きみに選択権ないもん…裏向きには」
そうですか、と聞き流せない話ではある。
その“SEED”を持つという人間自体の発掘が難しい状況で、確実にその力を現し、数値に記録できるほどの発現を示す存在は貴重に過ぎるというのだ。シンにはいまひとつぴんとはきていないが、彼がそのひとりであることははっきりとしており、さらには先の大戦で戦績著しかったミネルバチーム全員に、その潜在性を見ているのだという。ヤマト隊に元グラディス隊の人間が多いのはそんな理由からだった。
「───なんか、それって伝染性みたいなものがあるってことですか?」
「そういうことも判らないんだよ。ミネルバに注目はしているけれど、こっちは手当たり次第に可能性を探ってみるってだけの話だから」
シンにしてみれば、突然そんな未来視野の研究の話などされ、たかだか一国を護ろうというだけのつもりで軍に志願したはずのものが、自分にはそれにとどまってはならない理由があるのだと聞かされ、戸惑わないはずがなかった。
「手当たり次第の可能性につきあう対価が、給料と老後ですか?」
「どうとるのかはきみの考え次第じゃないの。きみ、プラントを護るだけで、それでいいって。ずっとそう思ってるだけでいいって。きみ自身がいつまで、そう、がまんできてると思う?」
選択権はないといわれたし、そもそも説得というつもりかどうかは判らないが、自分自身の考え方まで問われ、キラのいつになく真剣になっているまなざしに懐柔されたのは確かだった。それに過去を思えば──ステラは決してプラントの人間ではなかったな、と思えば、自分がこれからどうしていけばいいかなど考えるまでもないことのように思えた。

ごく目の前でじーっとキラに見つめられ、シンは嫌々自分の制服のポケットから携帯端末を取り出した。わざとらしいくらいのため息を吐いてみせ、キラの端末宛にサインを返すと視線のほうではひと睨みを返す。もったいぶっているわけでもないが、仕方なくなんだぞというアピールぐらいはしておいてもよさそうだ。
「ありがとう、シン」
サインを確認すると、キラは満面の笑顔でシンに礼をいう。おそらく、本当に心からの笑顔なのだろう。“嬉しい”ということの。
こうした子供の無邪気さを表したような面に騙されてるヤツがどれほどいるだろうか、と思う。そこに偽りはないのだろうが、それは彼のほんのひとつの面なのだ。
───それに気がつかないと、ほんと手の上で転がされる。まじで。
アスランなど、そのひとりなんじゃないかとそう思っている。
キラにはしっかりとしたしたたかさがあり、黙って誰かに守られているようなタイプにも見えない。銃の腕はアスランにひけをとらないし、確かに腕力はあまりなさそうだが、それを補う俊敏な反射神経を持っている。おまけに、妙に勘がいい。それらのことを、シンは訓練規定のプログラムのなかで見ていた。
ストライクやフリーダムに斃された仲間を思って彼に恨みをもつ者があったとして、キラがそれを察することもなく傍に近寄らせるなど、あるとは思えなかった。それをああまで必死に「護れ」などと、どうかしている。
───それでも傍から離れないけど。決めたことだし、約束、したし。
何より、興味がある。
大きな秘密の箱を抱えて突然プラントにやってきた彼は、いつのまにか自分を巻き込んで自分の世界まで変えようとしている。もちろん、“勝手に”されて腹が立つ心がないこともないが、それ以上に傍にいて次に何をしでかすのか見ていたいという気持ちにはなっていた。