C.E.74 3 Nov

Scene プラント

宇宙港のカフェラウンジで待つアスランのところにキラが姿を現したのは、待ち合わせ時間の十分まえのことだった。約束に遅れたわけではないのに、会いしな十回ほど「ごめん」を連発する。
「だって、昨日会いにいけなかった…!」
キラはゆうべのレセプションに顔を出すこともできなかった。アスランにメールを送ったのは真夜中の3時を過ぎた頃。朝起きたときに確認することを想像して、「お詫びに今日はまる一日つきあうから」と送った。
その直後、待ち合わせ場所を指定するアスランからの返信が届き、彼を待たせていたと知ってキラは激しく後悔をしていた。
「謝らなくていいよ、忙しいの判ってる」
ディアッカにも嗜められた、といって優しい微笑みを返してくれるアスランに、キラはごめんを五回追加する。
「確かにこういうときは、おれだけのキラだったらいいのにって思うけどな」
さらに追加してごめんをいおうとしているところを遮ったその言に、キラは顔を赤くして硬直した。再会したばかりで、それは不意打ちだろう、と思う。しかも素でいっているから始末に負えなかった。こういうときは素直に照れるべきか、茶化すべきか、判断に迷う。
アスランは急におとなしくなったキラを変に思いながら、キラの分の飲み物を注文した。
「今日大丈夫なのか、本当に」
デーベライナーの建造は予定どおりとはいえ、内部システムは特殊な仕様をいくつも備えており、キラが手を放すことはできない状態にある。ふつうに考えればアーモリーを離れる時間などは、ないはずだった。こう見えても要領はよくやってるんだよ、とキラは笑って答える。
「こっちには昨日の昼にもどったんだけど、久しぶりだったからやることがたまってて。なんかね、書類仕事ね。ザフトの隊長って大変だね。んで、レセプションに間に合わないっ…て思った時点で開き直って。いっそすっきり終わらせて今日一日空けるほうがいいと思ってさ。そうするために頑張ってたんだ、昨日は。褒めてよね?」
まくしたてるキラの話をアスランは笑顔のままでずっと聞いていた。最後のことばには、キラの頭をくしゃくしゃと撫でることで応えた。

それからふたりは、ユニウスフォーにある“血のバレンタイン”犠牲者の共同墓地へ出向いた。
ここ、ユニウス市四区コロニーは五区に続いて農地化作業がすすめられていたが、共同墓地の一画はこのまま保持されることになっている。建物がほとんどなくなった景色にぽつりと残った慰霊塔は、それだけ余計に寂しさを演出しているように思えた。
母、レノア・ザラの墓前で黙祷するアスランが何を思っているのかは判らなかったが、いまだ墓標のない父、パトリック・ザラにも彼はここで語りかけるのだろうか、とキラは想像する。
キラはパトリックに一度も会ったことがなかった。アスランの父が、プラントやザフトの創建に携わったかの有名人だということを知ったのも、だいぶあとのことだったように思う。テロの標的になるのを避けるため身分を隠してコペルニクスにきたという事実は、子供心にも衝撃だった。そんなことがあったからこそ、アスランとキラは争いを嫌い、ぜったいに戦争になど関わらないと心に誓っていたのだった。
子供の頃の誓いは守れなかったけれど、おとなになった自分たちにできることは、同じ心をもつ子供たちのためにその誓いを果たせる世界、その素地をつくっていくことだ。
争いはふたりを出会わせ、別れさせ、また巡り会わせたけれども、そのために多くの苦しみがあったことも、また事実だった。

ユニウスフォーのターミナルで「このあとの予定は?」とキラが訊くと、アスランはうん、と唸った。
「こっちにきてから転居を繰り返してたのはまえにいっただろ? その先々の家を処分しておこうと思ってるんだ」
手続きはオンラインでできるけど、といいよどみ、キラの顔を見ながら何かを考えている。
「…そのまえに一度、直接ちゃんと見て…何か残っているなら引き上げようと思ってるんだが…」
「つきあうけど、問題ある?」
「……慌ただしいなと思って」
なんだそんなことか、とキラは息を吐く。
「ぼくはべつにかまわないんだけど。アスランとずっと一緒にいられるならね」
アスランは苦笑いをしつつも嬉しそうだ。彼としては個人的にすぎる用事なので気兼ねのようだが、キラにとってはアスランの過ごした家を本人の思い出話つきで見て歩ける楽しそうなツアーに思えた。
「それじゃあ“彼ら”には泣いてもらうとするか…」
そういってアスランは少し離れたところでこちらを見守っている護衛官を呼び、その予定を伝えた。
キラにはプラントへきてからも、一人ないしは二人の護衛がつき添う。いつでも、というわけではなかったが、隊を離れたり、アプリリウスを出るときなどはとくに警戒をされる。護衛官はオーブからきている者とプラントで用意された人間の半々といったところだが、給与はプラントから出ているらしい。それは、キラがプラントへくるに際しての条件のひとつだった。
今日も「アプリリウスを出る」といったらついてきたのはふたりだ。
このあとどんなに飛び回ろうが彼らは不平もなく懸命についてくるだろうし、いざというときは身を挺してキラを護ってくれるのだろうが、彼らの目があればアスランと手を繋ぐのも気が引けるし、せっかくのデートも少しばかり残念な気持ちがする。
護衛する側としての経験もあるアスランからいわせれば、彼らの目は気にするな、空気だと思え、とのことだが、庶民感覚のキラにしてみればそう慣れるものではない。
アスランは自身でいうとおり本当に視界にも入れていない様子で、油断すれば手を繋ぐどころか肩を抱き寄せたり、一度は護衛の目の前でキスをされたこともあった(挨拶のキスだったが)。護衛の存在よりむしろ、アスランの行動に気を遣う。
今日は慌ただしく動くだろうから、そうそうアスランも油断ならないことはしてこないだろうと予想するが、別れ際の挨拶だけは気をつけようとキラは思った。

それからふたりはアスランが生まれたディセンベルナインと、コペルニクスからもどってしばらくいたというセプテンベルツーを回った。その時点ですでに日はとっぷりと暮れ、最終的な転居先のアプリリウスツーのザラ家跡地はいずれまた日をあらためることになった。
ひとりで片づけてまわるアスランを見て、今日は彼につきあうことができてよかったな、と感じる。
縁者、親戚の類いは、名も知らぬ遠縁が地球にいるらしいというだけでひとりも残っていない、と以前聞いたことがあった。そんな彼が、もう二度と会うことのない血の繋がる者たちの痕跡を消して歩く作業など、孤独にもほどがある。
アプリリウスの家だけでも残しておくことはしないのかと問えば、面倒なだけだ、といった。それが本心なのか、深い意味を持っているのか、キラには判らなかったが。

アプリリウスワンへもどるシャトルの中でふたりきりになると、右にならんで座るアスランが肘掛けに置いたキラの手にその左手をそっと重ねてきた。
「今日はありがとう、キラ」
穏やかな微笑みと、じわりと伝わる手の温かさに、よく考えてみれば一ヶ月ぶりのアスランだったと思い、右手を返してその左手に指を絡める。週に数回の通信では届かなかった彼の匂いと体温が、今はすぐ傍にある。本当に、本当の自分は、アスランがいるだけであとはもう何もいらないのに、と思う。
「このままアーモリーにアスラン持って帰りたい」
そうすれば仕事の能率もあがると思うよ、と半ば本気でいうと、アスランは「また莫迦なことをいってるな」と笑って、絡めている親指でキラの人差し指をひと撫でした。
「本気なんだけど」
つられる笑いを抑えて、頭をシートに押しつけたままアスランを見つめると彼の顔が近づいてくる。目を閉じずに待っていると、かわいらしいキスをひとつくれた。
「おれも攫いたいって思ってるよ。…おれだけのキラにしたいって、本気だからな」
お互いの本気を冗談にするために、それからふたりは意味もなく笑いあった。だがそれも長くは保たずに、すぐにどちらからともなく顔を寄せて濃密なくちづけを交わす。絡めていただけの指先にも力が入って、いつのまにかしっかりと握りあっていた。
ポーン、と到着を知らせる音が鳴って、ふたりは名残惜しく唇と手を離した。
直後に後方の部屋に控えていた護衛官が入ってきて、キラはどきりとする。まさかそのタイミングまで見守っていたのではあるまいかと疑うが、真実を知るのが怖くてアスランにそれを訊くことはしなかった。