C.E.74 2 Nov

Scene アプリリウスワン・シャフトタワー

在プラント大使館勤務となるオーブ連合首長国の面々がプラントに到着した。
アスラン、マリュー、ムウの三人は、75年から特命全権大使あるいは駐在武官となる。来月締結されるプラント、オーブ間の平和条約のための事前調整と準備で、早いプラント入りとなった。出迎えたのはラクス・クラインとその護衛につくザフト・ジュール隊。ラクスはわざわざ宇宙港まであがってきて彼らを歓迎した。

シャフトタワーの長距離エレベータのなかも歓談の場となるからと思ったのだろう。事実、ラクスはずっとマリューやムウと久しぶりの会話を楽しんでいる。ここでのおしゃべりは仕事抜きだ。アスランは彼らが座る場所とは背中合わせの位置にいて、ときおり彼らの会話を耳に入れているようで、微かに笑みをこぼす瞬間もある。
いつにもましてほがらかなラクスの様子に、ふだんは渋面の多いイザークもリラックスして見える。だが、ふいに後ろを振り返ったアスランと目が合うと、ぎっと眦を吊り上げた。プラントへの来訪を歓迎する心がないわけではないだろう。しかし、彼は不満なのだ。アスランが“オーブ軍の制服を着ている”ということに。
ディアッカはその心を見透かして、やれやれと思う。
ザフトにもどればいいんだ。外交官で何ができる。外からの介入で、このプラントを変えられると本当に思っているのか。…イザークがそう考えていることは察している。軍部で力をつけ、政治的影響力を増せば、望むこと──無益な争いを回避できるだけの力をつけることもできるだろう、というのだ。
それもひとつの手段ではある。だが、アスランがそういう考えは持たないだろうこともディアッカは察していた。
イザークは今ラクスの傍にいるので、黙ってぎらぎらとアスランを睨むだけだが、今日はこれから荒れるに違いない。イザークを止めるよりは、アスランにイザークを刺激するようなことをいわないよう、釘をさしておくほうが賢明かなどと考える。
───しかし、こいつはそういう忠告が利かない莫迦だからな…。
癇癖の強いヤツに唐変木。同窓に恵まれたディアッカはおのれの不運を今日も呪った。

「……おまえも座ったらどうなんだ?」
目の前に立つディアッカにアスランが声をかけてきた。
「そうもいかねーだろ、ザラ准将閣下」
そういうと、長らく会わなかった同期の男は口の端をあげてかわいげなく笑った。
「今日、キラは?」
「あのなぁ……。あいつの予定までいちいち把握してねーよ」
キラは新造戦艦の機関システム開発で忙しいのだ。そのためにアーモリーとアプリリウスを行き来していることを知っているくらいで、姿を見かけることもない。
「…くるっていってたんだ、オーブ発つまえに」
「じゃあくるんだろうさ。でもそりゃ夜のレセプションにってことだろ、ふつうに考えれば」
出迎えまで期待していたとは、こいつのキラ莫迦は相変わらずだとディアッカは感心する。よくもこう何年も執着していられるものだと。

ディアッカがその情熱を知ったのは、忘れもしないオーブ解放戦線の合間のこと。夕焼けにアスランの横顔を見たときは、驚愕以上に戸惑いのほうが大きかった。キラを見知っているというその様子に、何故キラが?…と、双方の世界の違いに、違和感を思っていた。
それから彼らの過去や確執を一度に知って、それまで見知っていたはずのアスラン・ザラが、すっかり違うものに見えることになる。名家に生まれ、アカデミーを主席で卒業し、政治的立場の高位に存在する父を持ち。人間的な交流に頓着がなく、ものごとをうえから見る冷めてすかした人間なのだとずっと思っていたのだ。実際、ずっとそういう態度だった。だが、その多くは誤解で、単純に不器用なだけだとも判った。
そうしてアスランを知ってから数年、フリーダムとアークエンジェルをミネルバが墜としたとの報せから間も空かずに、アスラン脱走の報が届いたときには、心配より先にめまいがした。あとから聞いたデュランダル云々の話も真面目に聞く気になれず適当に聞き流した。
───どうせおまえはキラが墜とされて見境がなくなっただけだろう?!
それをあえて口に出すような真似はしなかったが、ディアッカの胡乱な視線には気がついて、そのあとは多くを語らなくなった。

ディアッカは少し声を潜め、アスランにだけ聞こえるようにいった。
「おまえ、そんなめでたい頭でいいのかよ」
アスランはふいと視線をあげてぽかんとしている。
頭のわるいやつではない。むしろその逆だということは充分に判っている。自身がプラントへくることで何が起きるのか、何ひとつ想像もせずにきたわけではないだろう。──だが、忠告はせずにいられない。
「たぶん思ってるよりも、ザフトにはおまえに理解を示す人間は多い。つまりそれだけデュランダルへの反発が増えたってことだが…」
メサイア攻防戦で放たれたネオジェネシスの一射が、時を経て大きな反感へと拡大した。敵味方隔てずの虐殺は旧世紀的な幼い行為だ。冷静になれば、それに気がつく者は多いはずだった。しかし、戦争を経て冷静になりきれないのは人の常だ。
「だが………“違うこと”を思うやつもいるんだ、まだ…」
ディアッカは、アスランがパトリック・ザラの息子だから、と厭う者がいまだにいるということを直接にはいえなかった。目の前の彼は自分がどう思われることなど気にしないだろう。しかし、パトリックの名が、彼の死を得て三年を経過してもなお、おそらく今後もずっと…だが、出てくることには深い傷がある、と思う。
彼が何かをいったわけではない。ただ、ユニウスセブンの落下でそれは決定的なものになったのだろう、とディアッカには判るのだ。
「判るか、アスラン。前の大戦が終わったときと同じだ。おまえを英雄視したい連中はおまえを担ぎ上げようとする」
ヤキン・ドゥーエ戦役後、当時の暫定政権、アイリーン・カナーバ議長がアスランをオーブへいかせるままにしたのは、彼がプラントに残ることで起こる内部分裂を避けたかったからだ。わるくすれば二分する勢力を生み出して混乱し、その後続いた二年ほどの平穏はなかったかもしれない。
「それどころか、地球連合の弱体化で、プラントは敵と味方を探すことばかりしている。…それが現状なんだ。おまえが敵なのか、味方なのか。おまえがここにくれば、誰もが考える」
それまで無表情に俯いて聞いていたアスランは、少しだけ顔を顰めてディアッカを見あげた。
そして、急に立ち上がり全面強化アクリルの壁際へと歩いた。そのほんの数歩のあいだに、エレベータはシャフトの中央位置より抜け出し、プラント内部を一望できる透過壁のチューブを下りはじめる。
人工の日差しが暗い色の髪を透かして、あまり見る機会のない明るい藍色になった。
「すまないディアッカ。気苦労ばかりかけているな」
そうして返ってきたことばにかちんとくる。
「おまえな…」
「おれはオーブのアスラン・ザラだから」
目も逸らさず淡々と告げられたことにディアッカの顔色が変わった。思いもかけず、逃げ口上をいわれたような気がする。しかし、それは違ったようだ。
「そういえばいいのか? 違うだろう。…同じじゃないのか。おれがオーブにいても。プラントへきても。行動で示せば納得するのか? しないのだろう、彼らは」
続けて発せられた開き直りのようなことばの連続に、その真意を探す。アスランは難しい表情もしておらず、こちらへ向けた視線は穏やかにさえ見えた。その頬を照らす陽光のせいもあって、まろやかな雰囲気に包まれている。
だが一度ことばを切って俯かせた視線は、その表情に変化はなかったものの、前髪の陰りの分だけ少し沈んだように思える。
「おれがどうでも、プラントも…世界も。おれの思いどおりになどならない…」
ふいにことばを止めてしばらく彼は沈黙したが、それが中途半端に途切れたことばのように思えて、ディアッカは黙ったまま彼の語るに任せた。アスランはもう一度ディアッカに視線を向けていた。
「だから、道具と同じだ、と。そう思いたいのならそう思わせておく。だが、ただ扱いやすい道具になどならないし、なれない。おまえなら知ってるだろう。前線にいたおれが、どういう兵だったのか」
知っている。あとから知ったことも、多かったが。評価とのギャップがひどすぎて、ことばにすることもできない。
「…戦うといったんだ。キラが。それならおれも、そうするしかない。そのために道具を演じる必要があるなら、そうしてもいい。だから……」
アスランはことばの続きを飲み込んだが、要は。
「…やっぱりおまえ……莫迦だったんだな…」
ディアッカの総まとめにアスランは嫌そうな顔をした。しかし、「莫迦」のまえにつくものについては省略してやった。これはおれの優しさだと受け取ってくれ、とディアッカは無言でアスランを睨む。すると、アスランは何故かくすりと笑った。
「おまえの警告は身に染みてる。感謝もしてるよ」
「……厭味か、それは」
「そうじゃない…けど、おまえ。おれがかなりなところでキラと対立する考えを持ってるといったら、驚くんだろうな」
「──は?! ……なんだよそれ?」
「夕飯にするおかずの意見が合わないとか、そういう話じゃないぞ?」
自分で自分のことを茶化してみせたアスランに、あほかのひとことを進呈する。咄嗟に出たことばはしかし、本当に真実なのではないか。
「それでよく、キラの傍にいる気になるな?」
「……慣れ、かな」
「………………」
「子供のときからだから。べつに気にならない」
気にしろよ!とツッコミを入れたいが、それはやはり諦観という、いい印象のないものではないのかとディアッカは訝しむ。その視線を察してか、アスランは軽く微笑んで説明を加えた。
「対立することに慣れてるといってるだけだ。…おれは諦めはわるいほうなんだ。キラは意地っ張りだし。それでけんかもするが、お互いに理解はしてるよ」
アスランが譲れないところではしつこいことをディアッカもよく知っている。ことに負けず嫌いだ。負けることが嫌いなやつは(好きなやつもいないだろうが)、後悔する自分を嫌悪する。後悔をしないために、諦めることをせずにくどくどと続ける。
とくにアスランは。
諦めることをしていなければ、あるいは殺し合いをするようなことにはならなかったかもしれないのに……と。後悔をするだけして、もう諦めるとかそんなものとは、縁を切ってみせたといいたいのだろう。
目を離してはだめなんだ、と。彼が思いどおりにならなくても、自分の意に添わなくても。
誰かが、その多くが期待するアスラン・ザラは、そうではないだろうと思うのに。
「イザークの厭味…いやぁ、勧誘かな。…そっちもしつこいんだぜ。知ってると思うがな」
「……覚悟しておく」
そう応えながら、ともすれば冷たい印象を与えてしまう整った顔立ちを、ほんの少しだけ柔らかくして微笑んだ。
何年も、この顔にだまされていた自分がいる。天然育ちの朴念仁と知って、それでもまだ何かだまされているのではないかと疑ってしまうこともあるが。
キラと、キラとともにいる彼の姿を思い出せば、ディアッカには彼らを助けてやろうという考えしか浮かばなかった。

もちろん、仕方なしに、だが。