C.E.74 22 Sep

Scene オーブ軍官舎・1102号室

───人の気配に、目が覚めた。

常夜灯は点けていないので、遮光カーテンの隙間から漏れる月の明かりくらいしか、目に入る光がない。そんなほぼ真っ暗闇の状態で、そこに立ち尽くす人影だけが見えている。シルエットで誰かは判る。
「……アスラン?」
部屋の入り口でずっと動かなかった影は、キラが声をかけると微かに揺れて、キラの傍まで静かに寄ってきた。
ぎしり、とベッドのきしむ音がする。
アスランは横たわったままのキラの傍に片手をつき、顔を寄せた。至近距離になり、ようやくその表情が見える。…が、それを確認できないままになってしまったのは、見えなくなるほどにアスランとの距離が縮まったことと、口元に感じた彼の吐息の熱さに、思わず目を瞑ってしまったからだった。
───アスラン。
キラは戸惑って心の中でアスランを呼ぶ。どうしたの、と。声にだして呼ぶことはできない。吐く息をすべて、アスランの唇に奪われていたからだ。それは誘うための、優しい、くちづけだった。
自然にキラの片腕があがり、アスランの肩を静かに抱く。挿し込まれた舌を吸って応じる意思を伝えると、くちづけはすぐに情熱的なものに変化した。
急激なことについていけないキラの戸惑いをよそに、アスランは身体の上へ覆いかぶさり、その体重を乗せてくる。激しく絡めてくる舌の力強さで息を乱し、自然と喉の奥が鳴る。アスランの左手はキラの頭を押さえ、顔を背けて逃げることも叶わない。アスランの突然の行為が嫌なのではなく、ただ、乱された息を整えたかった。本能的な動きだったのに、まるでいうことをきかせようとするかのように、右手はキラの左肩を押さえつけた。
「…………は…」
ようやく唇が離れ、思いきり酸素を吸い込む。だが、アスランがキラの身体に与えはじめた刺激のために、今度は自ら息を詰まらせ、そのために喘ぐことになった。

ゆっくりと時間をかけ、素肌のすべてにアスランが触れた。さんざんに高まりまで攻めたてたその口で、限界を訴えるキラに容赦ないひとことを落とす。
「だめだキラ。一緒が、いい」
それが、アスランが部屋に入ってきてから最初に発したことばだったことに気がついて、キラは少し、笑った。
けれど、そのあとはそんな余裕も消し飛ぶ。キラが求める中心には触れずに、アスランが求める箇所を焦らすように慣らされて、いわれたことばの意味も存分に思い知らされた。
三年前に交わしたあの熱とは比べようもないほどの、情熱。キラがふたりの関係を押しとどめてから、その間に、いつのまに、アスランはこれほどの熱を育てていたのだろうか。そのせいで余計に彼の熱をあげてしまったのではないだろうか。
だとすれば、このまま燃やされて、融かされて、死んでしまっても、仕方がない。自分がわるいのだから。

───アスラン…。

切なくて、何度も名を呼ぶ。
悦楽に眉を寄せて、激しく息を乱す彼の名を。
見おろしているその表情は艶かしく、優しくて、そして少し微笑んでいた。
もっと欲しくて、キラはその頬に双手を伸ばす。届いた指をとられて口に含まれ、音を立てながら味わう彼の姿が、朦朧としたキラの瞳に映っている。甘噛みされた指に伝わる刺激は不思議なことに背筋を通っていった。あからさまに感じているのだと判る喘ぎがこぼれて、アスランの微笑みはますます艶を帯びる。
終わりがくるのか判らなくなるほど長く愉悦に浸り、アスランが告げた望みを達したのは、キラが我を忘れて彼のその肩に深い爪痕を残した瞬間だった。

───朝の光で、目が覚めた。

カーテン越しの薄い光は、それでも白いシーツに反射してまぶしさをキラの目に落とす。眠い目をしばしばとさせながら、不自然に空いたとなりの空間をじっと見る。それ以外はいつもの朝の光景だった。
眠る前の暗闇にあった甘い時間は、今映るものとあまりにもかけ離れた世界だったような気がして、不自然に重く感じるこの身がなければ夢でも見ていたかと思うところだ。
部屋の向こうには、やはりいつもどおりの人の気配とコーヒーの香りがある。キラは自分の身体に残された痕跡を見ないように努めながら服を身につけた。
「おはよ」
「…おはようキラ」
いつもどおりに挨拶をして、いつもどおりにふたりで朝食を摂った。今日はシフトも同じなので一緒にでかける。少し構えて交わした朝の挨拶から、予想に反してアスランはまったくいつもと同じだった。ゆうべのことは「変な夢を見た」程度の遠い感覚になる。
ふたりの部屋のフロアからエレベータに乗って一階のボタンを押した。玄関を出てからここまで他の人間に会うことはなかったが、それでも家の中とは違うのでふたりとも口を噤んだままでいた。
「ゆうべは…」
何かをいおうと思っていったわけではなかった。ただ、ころりと日常にもどれたことに、ゆうべはなんだったのかな、という気持ちがつい独りごとになってキラの口に上ったのだ。
静かなエレベータの中で、小さなつぶやきはしっかりと隣に立つ人の耳にも届いている。しまったと思いながらちらりとアスランの顔を覗き見ると、困惑をのせた表情でキラのほうを見ていた。
「………………」
複雑さを表したその顔にキラは口を開けたまま声が出せない。そうしているうちにエレベータがエントランスフロアに到着し、ドアが開いた瞬間に「ごめん」、とアスランが小さく囁いた。先に降りた彼のその耳が、赤く染まっているのが見えた。

「…謝らなくていいのに。ぼくは、嬉しかったし」
微妙に早足なアスランのあとを慌てて追いかけてそう話しかけると、
「…ちょっと一方的だったかなと思って…」と、小声のままの返事がかえってくる。
「べつに、嫌なら嫌だっていうし。そしたらきみだって無理にはしないでしょ」
「……それは、そうだけど…」
いい澱む声は自信がなさそうだった。アスランはゆうべ、何度かキラの嫌がる声を無視して強引にしてきた記憶がある。キラは判っていてちょっとしたいじわるでそういった。困って照れているアスランが、どうしようもなくかわいい。
「……本当に嫌だったら、殴っていいからな」
「判った」
そんな瞬間がこないよう祈りつつ、ふたりは軍本部のゲートをくぐった。