C.E.74 22 Aug

Scene ヤラファス島・カウリホテル

キラがインフィニットジャスティスをプラントへ持っていくな、という。
「──何で」
ホテルのロビーで時間をつぶしているあいだにそんな話となった。アスランは横に座るキラに視線も向けず問う。
「いいじゃん。必要なときにオーブに取りにくればいいことじゃん」
プラントからオーブへもどるまでどれだけ時間がかかると思っているのか。アスランは憮然として、こいつはまた何をいいだしたんだとキラを横目で睨んだ。
「マルキオ様がおれも“SEEDを持つ者”だといってる。そうしたらおれだって、披検体ってことだろう」
「だから、必要になったら呼ぶってことで」
キラの考えなどアスランは見通している。要するに、彼をジャスティスに乗せて戦場へ向かわせるようなことをしたくないなどと思っているのだ。SEEDの覚醒状態になるタイミングは、戦場での緊張状態にあることがかなりの高確率と知られていた。つまり、有用なデータを採る必要があるというなら、戦場へは出なければならない。
「話にならない。おれしか乗れない機体を持っていかなくてどうする…」
しかし、とアスランは思う。
「……だが、“機構”の運用が開始されるまでは、確かに持ち込みは難しいな…」
政治的な事情だ。アスランはしばらくのあいだ、プラントへはただの外交官の立場で赴任する。初めから“シードコード”への協力態勢を取り次いでプラントへ渡るキラとはわけが違う。運用規定が定まらないまま他国に自機を持ち込めるはずもなく、またオーブ軍が許可するはずがなかった。
「でしょ?」とキラが勝ち誇ったようにいうので、アスランはもうひと睨みする。

SEEDの研究については、近々国際協力組織の設立が計画されている。その組織の名称は、SEED研究開発機構(SEED Co-Operation and Development Organisation)、略称を“シードコード”といった。
すでに各国が研究への参加と協力を申し出ている。現状の出資はオーブ連合首長国とプラントが中心となっているが、発言力を得るために他の国も進んで多額の出資を始めるであろう。キラはそうなるまえに、つまり、自分たちの影響力を保てるあいだに、できる限りの方向性を整えようとしていた。
公にはされないが、実は組織設立の発案者はキラだ。また、彼自身が特異性を持った披検体であることからも、シードコードの隠れた最重要人物となる。
キラはそのことを、ラクスを通して自分からプラントへ売り込んだ。「試験場」としての環境はザフトの新しく高度なテクノロジーで構成された世界が最適であるし、何より、今後地球圏の外へ向かっていく未来を考慮すれば、宇宙でのデータに重要性が置かれることになる。シードコードにプラントの協力は不可欠なのだった。

今日はこのヤラファス島に各国の関係者や代表者などが集い、機構設立の準備を相談し合う。通常はネットワーク上でおこなわれることになるが、今回はキックオフミーティングであるため、表向きに発起人、組織代表となっているマルキオの住むオーブがその開催会場となった。
「あ、カガリだ」
キラがロビーの入口に現れた彼女を見て声を出す。カガリはすぐに気がついてふたりの傍まできた。
「だめじゃないか、おまえたち。ちゃんとマルキオ様についてないと」
いい様のわりに怒った様子はなく、逆に明るい笑みを浮かべている。彼女らしさの表れた挨拶替わりのことばだ。
「あそこで誰かと話してるんだよ。邪魔しちゃいけないと思って。視界にはきちんと入れてるから心配しないで」
そういいながらキラが視線で示した少し離れたところに、確かにマルキオが誰かと話をしているのが見える。カガリは素直に納得して、ふたりの正面のひとり掛けソファに座った。退屈そうな顔をしているアスランに気がつき、なんだおまえは、と声をあげて笑った。
「まだ興味ないんだろ、おまえ」
図星だった。キラが一生懸命になっているのでアスランはこまごまと協力を始めたが、やはりSEEDそのものについてはいまだそそるものがなかった。心の中でもやもやとした整理のついていない状態といえばいいだろうか。
カガリの言にキラがちらりとアスランを横目で見て、「スイッチはいらないとだめなんだ。昔からアスランは」という。
「おまえと違ってやるべきことはきちんとやるんだから、いいだろ」
退屈で不機嫌になっていた彼は、けんかを売るようにキラへ返した。当然キラはそれを買う。ふたりはしばらくどうしようもないいい合いを続けるが、カガリはめずらしく口を挟むことなくじっとその様子を眺めていた。
それに気がついたアスランはいたたまれず、莫迦ばかしいけんかをやめて口を噤む。
「……おとなしいなカガリ。どうしたんだ?」
その彼女はにかりと笑うと、「いや、久しぶりにおまえらの、そういう仲のいいところ見たから」といった。
アスランはあらためていわれたことの意味を考えてことばがでない。確かに少しまえに派手なけんかをやらかして周囲を心配させたばかりだが、それで今頃「久しぶりに」と指摘されるのもおかしな気がしていた。
意味を問おうとキラを見ると、耳まで赤くして俯いている。そのキラの様子にもアスランは訝しむ。釈然としないものを感じながらアスランは曖昧に「…そうか」とだけ返事をした。
いいながら時計を見ると、会議が始まる時間が迫っていた。
「そろそろ時間だな。……キラ」
「うん、マルキオ様のとこいこうか。…じゃあ、カガリ。またあとで」
ああ、と返事をするカガリと同時に立ちあがる。やはり同時に背を向け合うと、すぐに彼女が「あ」といってふたりのほうへ向き直った。気がついてアスランとキラも足を止めると、カガリはアスランの正面から真面目な目で見つめ、「アスラン。──キラを泣かせたら、オーブから追い出すからな」といい残し、再び背を向けて去っていった。
「………………」
アスランは呆然と人混みへ消えていく彼女の背を見つめる。カガリの意味深なことばと視線に、内心でぎくりとしていた。横にいるキラを見ると、やはり含みのある雰囲気で上目遣いにアスランを見ている。
「…キラ。もしかして……」
「うん。…いっちゃった、カガリに」
キラの返事にアスランはふうと一息吐いて、そうか、といった。
「あれ、それだけ?」
簡単なアスランの反応をキラが不思議がる。もともと彼女には自分の気持ちを知られていたのだ。キラとその気持ちを通じ合わせたことも知られたとして今更慌てることは何もない。
「いいから、行こう」
何かをいいたげなキラを促し行きかけたほうへまた歩き始める。
───いつも泣かされているのは、むしろおれのほうなのに。
アスランは先日のけんかのことも含めていろいろ思いめぐり、つくづく割を食っている自分に自分で同情していた。

「…あ……!」
議場へ一斉に向かう人混みの中で、キラがふいに声をあげた。
「……キラ?」
その声音に不穏なものを感じとったアスランは、心配になってキラを見る。彼の視線は、流れる人の波からは外れたところに佇んでいる年配の男に注がれていた。
キラは眉間に皺をよせ、その先にいる人物をじっと見つめている。まもなく向こうもキラに気がつき、驚愕と困惑をのせた表情になる。だが、すぐに嫌な印象の笑みを浮かべこちらへ近寄ってきた。先に声をかけたのはキラのほうだった。
「あなたが、シードコードに関わるんですか」
いくつも年上に見える相手に刺のあるひとことだった。キラが敵意を露にすることはめずらしい。アスランは対面した人物の正体を知ろうと自分の記憶を探る。この男の顔には見覚えがあった。
「──私用で昔の知り合いに会いにきたんだがね。その知り合いは、きみではなかったはずだが」
地球連合軍の軍服ではなくダークスーツを着込んでいたため多少印象が違って見えたが、彼はジェラード・ガルシア──旧ユーラシア連邦の宇宙要塞、“アルテミス”の元司令官だ。過去、アスランがザフトにいたときに一度攻略した相手であり、さらにはごく最近、キサカとの話でエヴァグリンの関係者だとして彼の名がでた。キラが嫌な顔をするのも無理はない、という経緯のある人物だった。
アスランは警戒して、キラよりわずかに身体をジェラードに近づけた。その動きに気がついて、向こうもその場で歩を止める。
「オーブにいると噂には聞いていたよ」
ふん、と鼻をならすように笑っていうその様子は、やはり印象がわるい。彼は次にアスランを見やる。
「きみも知っている顔だな。プラントの有名人だと思ったが、“それ”はオーブの軍服に見えるね」
アスランはその厭味を無視してキラに「行こう」といった。こんな男につき合っているあいだにマルキオに追いつかねばならない。キラも何もいわず、アスランの促しに従った。ジェラードもやはり黙したままその場に立ち尽くし、いつまでもふたりの背中を睨めつけていたが、キラはもう彼に一瞥もくれようとはしなかった。
ジェラードは度重なる作戦の失敗で軍部内で失脚したと聞いている。この場に現れたのは語ったとおりの私用らしく、議場へくる様子がないことに少しばかりほっとした。会いにきた相手のほうが、この会議の関係者なのだろう。その相手が誰なのだろう、ということがアスランは気にかかった。そのような問題を含む人物が関わってくることには不安がある。ましてや、キラに敵意を表す者など。

アスランからは「無関心」や「退屈」を示した先ほどの姿はどこかに消えていた。その思考の中ではもう、この会議の参加者リストの取り寄せなど、とるべき手配を巡らせている。そしてそれを押し隠しながら、難しい顔になったキラの肩に手を置き、見あげてきた視線に心配するな、と語りかける微笑みを見せる。キラはアスランに応えて口元を少し緩ませてから、気持ちを切り替えた眼差しで向かう前方に視線をもどした。
───それでいい。おまえはよそ見を、しなくていい。
誰にもキラの邪魔はさせない、と心に誓ってアスランもまえを見る。今から話し合われることは、彼らの見る先──未来に繋がる一端だ。
過去にいた者など置いていけばいい、とアスランは思った。