C.E.74 2 Jul

Scene オーブ軍本部・アスランの執務室

アスランは「もう帰ろう」とキラに帰り支度を促した。
不機嫌を隠さないまま荷物をまとめると先に立って部屋を出る。アスランはそれを追い越して自分の執務室へ向かった。ときおり後ろを振り返り、キラがついてくることを確かめている。彼の部屋にたどりついたとき最後にもう一度振り返り、キラのむっつりとしたままの様子を一瞬眺めた。
アスランとけんかをして、彼のほうから折れたときはいつも、キラはすぐに切り替えた。今日はまだ気分が燻っている。
「もしかして今日ずっとそれでいくのかキラ?」
アスランは短気に、部屋を移動したこの一分ほどのあいだに機嫌が直らなかったことを焦れていた。
「……………」
無言を返すと、アスランは聞こえるようにわざと大きくため息を吐き、執務室のドアを開けてキラを中へ招く。そのままデスクへ鞄をとりにいくこともせず、傍らに佇んだ。
アスランは、ここで仲直りをすませないと家路につくことはできない、と考えている。カリダは小さい頃にまとめて面倒を見ていたせいか、ふたりの状態に敏感だ。けんかを悟らせれば心配をかけてしまう。
「ごめんて、いってるだろ……キラ?」
努めて優しくなった甘い声がキラの耳に響く。
閉じられたドアのまえに突っ立ったまま、キラはぼんやりとその声を思う。彼の呼ぶ声がこんなに甘くなってしまったのはいつからだっただろうか、と。変わってしまったのが、彼の声なのか自分の耳なのかは判らない。
「……今日はちょっと。べつのことでも機嫌がわるかったから」
やっとの思いで出した声に、アスランは覗き込むように首を傾げて俯くキラの顔を見ようとした。八つ当たりされる覚えのない彼はすぐに察した。
「それも、おれのせいなのか?」
「そうだね」
即答に息をつめる様子が伝わった。それからキラはようやく顔をあげてアスランを見る。彼は眉宇をひそめて難しい眼差しになっていた。
「……ぼくたちこんなんでいいのかなと思ったら、いろいろ頭の中がややこしくなっただけ」
「………どうなら、いいんだ?」
「…どう、って……。……アスランとぼく。ずっと仕事みたいな話しかしてないじゃない」
こんな遠回しなことをいって大丈夫なのか、とキラは我ながらに思う。何しろ彼は鈍いのだ。余計ややこしい話に発展したらどうしようという懸念がよぎるが、もう自分のほうから始めてしまったことだった。
アスランはやはり遠回しにしているものをそのまま追いかけている様子で、顔をしかめたまま少し考えるように視線を逸らす。返事に困っているようだった。
「さっきの話だって、仕事と変わんないよね」
「……身のうえの危険の話であって、仕事とは…」
「うんだから。必要だからする話」
「…?……そうだな…」
「……必要ないかもしれないけど必要な話ってあるでしょ」
キラがぼそぼそと説明することを、アスランは真っ正面から見つめて真剣に聞いている。「おまえのいってることはたまにわけが判らない」と幼少時からさんざんいわれてきたが、彼のキラの話を聞く態度はいつも真摯で、判らないことも莫迦正直に理解しようと常に努力してくれる。そういう一生懸命さはいつ見ても“かわいい”。が、キラはつのるものに少しずつ落ちつかなくなってきていた。
「…つまり、コミュニケーションがわるくなってるっていいたいのか、キラは」
「わるくなってると思う?」
苛つきを声に滲ませはじめたキラに、アスランは困ったものを見るような顔をした。
「……変わらないと思ってるけど……おれは。最近話せなかったのは、ただの不可抗力だし」
「そうだね、変わってないよね。ぼくもそう思う」
「……………」
「変えてみる気はある?」
最後のことばに彼は息を飲んで固まり、とうとう動かなくなった。ふたりのあいだに気まずい沈黙が流れ、思考回路が停止したかのようなアスランにキラは今度こそがまんできなくなる。

「うわー、もうムカツク!」

キラは怒鳴りながらアスランの襟元を両手で掴むと思いきり引き寄せ、彼の唇に自分の唇を押しつけた。ほとんどぶつけたも同じだ。すぐに突き放すように離れると、アスランは「痛い」といいたげに自身の口元を手で押さえる。それは瞬間のことで、今は瞠目してキラをまじまじと見つめていた。
「何の気なしに何回もこんなことされて、ぼくがどう思ったと思う?!」
挨拶を交わすようなさりげなさで、何度もアスランからくちづけられた。その奥に何も秘めていないような顔をして。そんなことをされたら、キラも跳ねあがる心臓の鼓動をごまかさなければならない。彼の唇が触れるたびに、最高のいじわるだとずっと思っていた。
そんな彼は、感情に鈍いが頭の回転は速い。今のひとことからすべての理解に至って、───怒り出した。
「その口がそれをいうのか?! 何の気なしだなんて、知ってるくせに、とぼけるな!」
何か踏み出すきっかけが欲しかっただけなのに、何故ここでけんかが始まってしまうのか、キラにはもうコントロール不能だった。思えば、ふたりのことはいつもアスランがリードしていたから、下手に動いてしまった自分がわるかったのかもしれない。でもアスランがどんくさいからいけないんだと心で詰って、そのままくってかかろうとすると、それを抑えるかのように彼は一歩進んでキラの両肩を掴んだ。
「……い…ったいよ、莫迦アスッ!!」
「変えて欲しかったのならそういえ。──卑怯だろ、こんな誘い方は」
気の強さが表面に出た瞳の輝きが迫っていた。キラは乱暴にされたことに憤って、握力任せのその手を引きはがそうとする。自分の両手で彼の腕を掴んだ瞬間、視界に影が落ち、文句をこぼそうとした口は吐息ごとふさがれた。
「──────」
キラの肩からふたつの腕が離れると、そのまま滑るように背中に伸ばされ抱きこまれる。身体を引き寄せずに押しつけられて、キラが後ろにさがるとすぐドアに背がぶつかった。驚きに開いた口の中に彼の舌が滑り込む。

そうして始まったアスランのくちづけは、怒りにまかせたものではなく、長いあいだに育んだ恋情のすべてが流れ込んでくるような、情熱的なものだった。