C.E.74 2 Jul

Scene オーブ軍本部・モビルスーツ格納庫

キラは午後を少し過ぎてから、愛機ストライクフリーダムがある格納庫へと訪れた。先週からコジロー・マードックに新開発のランチャー用モジュールのバージョンアップ作業を頼まれていて、昨日取りかかるつもりがさらに遅れて今となった。久しぶりに本気を出して、今日中に終わらせようと考える。
端末と資料を抱えてフリーダムのコックピットに籠ると、キーボードを操作し目にも止まらぬ速さでプログラムを書き換えていく。
そうして三時間ほど集中するが、ふいにそれが途切れて自分の休憩どきを知る。もちこんだドリンクを手に取り、数分間休むことにした。

思考の隙間ができると、考えるのはアスランのことだ。
ここしばらくの、アスランからの意図のないアプローチに正直まいっていた。そう、あれは無意識なのだ。なおさら対応に困る。
「…天然もいいかげんにして欲しいな…」
彼が何をどう考えているのかが判らない。最悪のケースは、彼自身があれを親愛の表れと思い込んでいて自覚がないことだった。
「まさか、なぁ…」
疑いがつぶやきに漏れた。
思いの底ではとうに通じ合っている。何年も昔から。
ただ、キラがそれを自覚したのが一年あまりまえのことだったように、アスランにその訪れがないことも考えられた。
過去に起きた自分の無自覚による失敗は、いまだにふたりの関係を同じものにしている。下手をして、またもや互いの思いが噛み合わないことになるのであれば、いっそこのままでいたほうがいい。
キラは、今のふたりを決定した三年前を回想していた。


秘されていた自身の出自を知らされてからまもない間、キラはアスランばかりを求めていた。ラクスやカガリ、ムウたちのいたわりも心に響いたが、無意識の底ではアスランと、彼の身体のぬくもりを求めていた。
ばらばらになりかけた心には人のぬくもりが効くということを、キラは経験で知っている。だが、べつにセックスがなくてもいい。人間の体温に包まれるだけでいくらかでも落ちつくことができる。そしてこのときは、アスラン以外に安らぎを感じることはできなかったのだ。彼の体温と、心が傍にないと、眠っているときでさえ悪夢を見る。
「…アスラン」
部屋は同室にしてもらったから、気が向けばいつでも彼のベッドに潜り込めた。
その日もふいに不安を感じ、うとうとしかけていたアスランのところへいくと、彼はすぐに気がついてキラに場所を空けた。ごめんといえば、気にするな、と静かに微笑んでくれた。
優しい笑顔と身体のあたたかさに包まれながら、そのまま目を閉じることができずにいると、アスランもつきあうように目を開けたままキラを見つめ返す。眠りかけを起こされて目が冴えてしまったようだった。
キラは話題を探して語りかけた。
「……思うんだけど、ぼくはアスランになろうとしてたんじゃないかな…」
「……は?……おれ?」
「え……うん」
キラはカレッジでの生活のことをいっていた。ヘリオポリスは中立国オーブのコロニーとはいえ、ナチュラルの相対数は多く、コーディネイターはその一割にも満たなかった。両親も教師も、周りの友人たちもみなナチュラルで、そんな中、皆よりひとつできる分を自分がやってあげなければという使命感があったのだ。
そのうえ…この場合はわるいことに、キラはアスランから、ともだちへの献身的な態度を学んでしまっていた。
「ぼくはいつもアスランにいろいろやってもらってたから。だから今度はぼくがって思って、頑張ってた…かな」
「……………」
話すうちにアスランがほんの少しばかり表情を曇らせたので、キラは語尾を曖昧に告白した。彼の真似をしていた話など、彼にとっては不愉快だっただろうかとキラは戸惑う。それを見透かしたのか、アスランはそうではないことを告げるように微笑みを表した。
「おれは自分がしたいようにしてただけだし。……頑張ってた、だなんて、そんな肩肘張るようなことしなくても、彼らはおまえのともだちでいてくれるだろ?」
おそらくそれは、アスランのいうとおりだろう。キラはそういうかけがえのないともだちに、何かをしてあげたかっただけだった。───アスランと同じなのだ。
それでも、キラとアスランの関係とまったく同じではないことに、彼らから違う反応があったことをキラは思い出した。
「ミリアリアにはね。そんなふうに自分たちのこと甘やかしたらだめだって逆に怒られてたな」
アスランはその様子を想像したのか、苦笑する。
「おれ、おまえのこと甘やかしてたのかな…」
「そうだよ」
だからぼくはともだちに甘いんだ、とアスランのせいにする。
「離れてよかったかも。ぼくあのままだったらさ、アスランに甘やかされたままぜったいダメ人間になってたよ」
「莫迦いうな。おれがそんなことにはしない」
それからふたりは、そうだ、ちがう、をむきになっていい合い、子供のときのけんかのようになっている自分たちに気がついて、次には笑い合った。

ふいにアスランが真剣な眼差しになり、
「何にしても、離れてよかったことなんて、ひとつもない」ときっぱり告げる。
キラも本気でいったりなど、していなかった。再会してからずっと「あのとき離ればなれにならなければ」と何度思ったかしれない。
再会するまでも、決して辛くなかったわけではない。それまでいちばん近くにいたものが、遠く、手の届かないところにいることに、その現実に慣れるまでに、どれほど心が傷ついたであろうか。
「キラのことを思い出すたびに辛くて、思い出さないように…してたと思う。それをいろいろごまかせる状況にもなってて。プラントへいってからも住む場所がすぐには落ち着かなくて。最初は新しい環境に慣れるのに忙しかったし。……母上が…死んでからは……」
思い出すように視線を泳がせながら訥々と語っていたアスランが、そこで急にことばを止めた。
今になって、そうして堪えていた気持ちが一気に押し寄せ、アスランの胸を締めつけていた。苦しさに声が少し漏れる。
「……っ…」
キラも痛みに眉をしかめる。アスランの痛みはそのままキラの中にある痛みと同じだ。こうして傍にいられる今、何故離れていられたのかが、本当に判らない。何故、耐えることが、できたのかが。
キラはシーツの中で手をそっと動かし、アスランの背中に回した。近かった距離がさらに縮まり、アスランはキラの肩を抱いた。その手に力をこめ、顔を寄せ、唇を寄せ、足を絡めた。数十分ののちには、互いの身体に手淫を施し、唇を合わせながら相手の喘ぎに耽っていた。
思い出した苦しみをどう抑えればいいのかが判らなかった。だから、ただ求めるままの熱でごまかすしかなかったのだ、と思う。

そうするしかなかった───と、翌朝目覚めてからもキラは納得していた。
だが、彼と自分のあいだにこれ以上のしがらみは必要ない。ひとときの感傷で身体を重ねて、そのままずるずるとした関係になることに覚えがあった。それに自分とアスランを重ねあわせ、キラはぶるぶると頭を振る。あってはならないことだ、と思った。そして、ここまで心のなかに大きくあって大切な彼を、彼と自分の関係を、守っていたかった。
だから、アスランに告げたのだ。
これは離れていた距離が急に縮まったことへの反動で、これからは、自分たちはずっと離れずにいるのだから、ゆうべのようなことはもう必要ないのだと。
───最初で、最後だと。
それから、それがただの衝動ではなく恋のゆえだと気がつくのに、二年を要した。


ひととおりのプログラミング作業を終えると、機体の外向きスピーカーからマードックに声をかけた。あとは翌日にランチャーの起動テストと微調整、スケジュールを調整して宇宙での稼働テストも必要だ。
とりあえず、今日のタスクは終了したのでもう帰宅してもいい。それなのにキラはコックピットの中に収まったまま、うだうだと数分を過ごしていた。
コックピットハッチを閉じていると、機体の外の音は何も聞こえず、微かなフリーダムの駆動音があるだけで静かだ。戦争中もその静けさが心地よくて落ちつくので、この中で睡眠をとることが何度かあった。その様子は周囲からは根詰めているように受け取られ心配されたものだったが。
「……あ…」
全方位モニターの下方にアスランの姿が現れた。
「めずらしいな…ここへくるなんて」
政治向きの仕事を手伝うようになってから、アスランは何度か「ジャスティスに乗るほうがよっぽどまし」とぼやいていたことがあった。子供の頃からロボットの製作を得意としていたように、彼はただ頭を動かすばかりの作業が好きではない。今の所属も本当は不満なはずで、自分と同じ技術開発に携わる任務につきたいと思っているに違いなかった。
見ていると、アスランはマードックに話しかけたあと、ちらりと自分のいるあたりに視線をよこしたが、こちらへはこずにフリーダムの隣に佇むインフィニットジャスティスのほうへいった。機体の足下に、話しかけるように手をあてている。
───かわいそうに。
彼の好きな場所に、彼自身なかなか訪れることができないのは仕方のないことではあったが、こんな姿を見せられると同情する。
でも、キラの本当の心には、アスランをジャスティスから遠ざけたい気持ちもあった。それは単純な、彼を戦場から遠ざけたいという気持ちとのシンクロだ。
気がつくと視界からアスランが消えていた。すると、軽い警告音がして上部のハッチが開く。アスランが外側から開けたのだ。
「やっぱりさぼってたな、キラ」
目が合うと開口一番にそう決めつけて、もう終わりだろ?と訊ねる。キラは笑って、オペレーションシステムに終了プロセスを走らせた。