C.E.74 1 Jul

Scene ヤマト家・アスランの部屋

発端は先日オーブへきていたルナマリアだった。

「ラクス様にディオキアのホテルでのことはいってませんから」
「…………は…?」

四人で食事をしてから慰霊塔へ歩いて向かう道すがら、アスランの横につつっと寄ってくると、ルナマリアがこっそりとそんなことをいってきた。
「何の、話だ?」
いたずらっぽい笑顔を向けているルナマリアに、アスランはえもいわれぬ嫌な予感がする。
すると、
「ラクス様のニセモノとよろしくされてたことですよ…!」
と、耳打ちしてきた。
「……………!!」
頭の中からすっかり消え去っていたあの朝の衝撃が思い出される。
「…ル……ッ?! …だからっあれは!」
狼狽して裏返ったアスランの声に、前方をいくシンとメイリンが振り返る。しかし、ぱたぱたと手を振り「なんでもない!」とルナマリアはふたりの注意を逸らした。
「…………だからあれは…あのときもいったと思うが……。誤解だから」
「えぇ〜〜?」
「ひとりで寝て、目が覚めたら彼女が勝手に部屋に入り込んでいたんだ!」
「…ふうぅ〜ん……」
「…おれは誓って何も……いや、きみにそんな話をしても仕方ない」
「そうですよ。裏切ったのはラクス様になんですからラクス様にきちんといいわけをなさってください」
「……………」
アスランは激しくことばをなくした。
ルナマリアの遠慮のなさには頭が痛かった。いや、違う。遠慮のなさなど、どうということでもない。問題はこの勘違いだ。
「それはべつに…。そもそも、彼女とはもう婚約を解消しているんだし…」
「えっ?!」
「……え?」
驚きに驚きで返してしまった。自分は何か間違ったことをいっただろうかと怯むほど、ルナマリアの「えっ?!」の勢いがすごかった。
「そうなんですか?!」
往来で大声を出されて、さすがにシンとメイリンも道をもどって寄ってくる。くるな、ともいえなくてアスランは窮地に立たされた。
「なに、お姉ちゃん?」
「アスランとラクス様って婚約解消されたんですって! 知ってた?!」
首をふるメイリン。シンは、なにそれ?という顔でアスランを見ている。
「いや、ルナマリア…この話はもう…」
「そんな話、いつ発表されました?」
「──は?」


「先日はご足労くださりありがとうございました、ラクス」
『あなたもお疲れさまでしたアスラン。こちらの要望事項に何か問題がありまして?』
アスランは早くめんどくさいことは片づけようと、オフ日を使ってラクスにコールした。
「いえ…今日は公用ではなく…若干、公にもかかわることですが…」
『あら。ではプライベート回線にいたしますわ。……どうぞ?』
ラクスは接続レベルを変更すると、かわいらしく微笑んでアスランの話を促してくる。アスランは無邪気に見える彼女に、まだ少し話すことをためらっていた。ルナマリアにいわれるまで長らく忘れていただけに、今更蒸し返すことに迷いがあった。しかし、先延ばしていいことでもない。
「あ…その、つまり…。おれたちの婚約解消のことで…」
『……まぁ…』
みるみるラクスの目が見開かれる。わざとらしいくらいに片手を口に添えて。だがこれが彼女の通常のリアクションだ。不思議なことは何もない。
「おれが父から聞かされたときはまだ公にしていないといっていました。そのあと…二年前の騒ぎの渦中で…父が公表を失念したのか…。プラント国内ではいまだにその話が生きているようですね」
それは、一年前にも気がついていたことだった。ミーア・キャンベルが“ラクス・クライン”として現れたとき、周りにいた誰もが“アスラン・ザラの婚約者”として扱っていたのだから。
『あら、まぁ…』
彼女は再びそういった。どうやら、ラクスも知らなかったようだ。
「近いうちにきちんと公表すべきだと思うのですが。何しろ、おれたちの婚約は婚姻統制のアイドルのように扱われていましたので、その発表には慎重を要するかと…」
現在のラクスの立場を追加して考えれば、今となっては容易に発表できることでもなかった。それなりに準備をして、しかとした外向きの理由もつけねばならない。
『ええ、そうですわね。…でも、アスラン』
「はい」

『何故わたくしたち婚約を解消しなくてはなりませんの?』

「───は?」

『それにわたくし、そんなお話ひとことも聞いておりませんし…』
「え?」
『突然ですから、驚きましたわ』
「え、あ、…は…はぁ……」
……何かがズレていた。
「え……その………。じゃあ、あれは…父の独りごとに近い話だったと…いうことですか?」
『わたくしは解消した覚えがありませんわ』
「……………」
───さもありなん…。
あのどたばたで、しかも父親は怒り狂っている真っ最中だったのだから、そんな呑気な発表の準備など考えることもしていなかったのだろう。ましてや当の本人に告げることを、あの状況の中どこでできたというのであろうか。
父親と自分の非礼を詫びると、アスランは話をもどし進めようとした。
「……どちらにしろ、ラクス…。解消に変わりはありませんから、その発表時期のご相談をしたいと思っています」
ご相談をといいながらも、正直なところアスランはこのままこの先をラクスにすっかり任せるつもりでいた。何しろプラント内のことではあるし、さまざまな女性から「ボクネンジン」と叫ばれる自分がこの手の話に適当な処理ができるつもりもなかった。───ところが。

『ですから、アスラン。わたくしは婚約を解消したくありませんわ』

そのあとのラクスの容赦ない応酬にアスランはほとほと参って、しまいには自室のベッドにつっぷした。
何故と問えばもちろん子供をつくるため、といわれ、公務上にもふたりの結婚は都合のいいお話です、といわれ、最後には、自分を抱きたくないなら体外受精でもまったくかまいません、と、満面の笑顔でいわれてしまった。女性にそこまでいわれて、どんな立つ瀬があるというのだろうか。

帰宅したキラにその話をすれば、追い打ちをかけて「そんなのアスランのわがままじゃん」といわれた。
「おまえ他人事だと思ってそんなこと!」
「なんで他人事なの。ぼくだってコーディネイターだし。次の世代をつくるのは命題だってことでしょそれは」
確かに、アスランもラクスも二世代目のコーディネイターで、婚姻統制下のカップルと判明した以上は子孫を残す使命がある。だが、自分はもうオーブ国民なのだし、次世代を残す使命といわれればナチュラルを相手にしたほうが確率が高い。
「じゃあ、プラントにいるラクスはどうすればいいんだよ。アスラン勝手だよ」
別れるまではカガリとの仲を応援してくれてもいたのに、手の平を返して何をいうのか。それをいえば、「だってラクスとは破談したって聞いてたもん、きみから」という。何もかもおまえの勘違いがわるいといわれているようだった。
アスランは、まったくもって今頃こんな問題が噴出するとは思っていなかった。いささか公にもかかわる身で「ほかに好きなひとがいるから」ともいえないことは判っているが、他人には明かしていない彼のポリシーもべつにあった。ラクスがひとこと、やめましょうといってくれさえすれば、彼の悩みはすっかりなくなるのに、とため息をく。
「アスランだって、ラクスが結婚してくれたら、少しはプラントでの立場が回復するんじゃないの?」
双方の親の対立と自分の父親のおこないを考えれば、確かにキラのいうとおりではあろう。
「……おれは、そんなのどうでもいいよ…」
予想に反して結婚推奨派になってしまった彼は、そういえば政治的な思想はラクスと気が合ってるのだったと思い出す。にわかには、“アスランの立場の回復”というキーワードも気に入っているのだろう。
それでもここは、感情のレベルで嫉妬のひとつもして欲しい、とアスランは思う。
「キラはそれでもいいのか?」
「──へ?」
ダイレクトに気持ちを訊かれて驚いたのか、キラは間抜けな声をあげた。だがその一瞬あとに、「忘れたの?」と首を傾げて、
「ラクスのことは何とも思ってないっていったじゃない」
…といった。アスランは苦虫をかみつぶしたような顔になる。
───そうきたか…。
彼としては、話題に紛れて少し思い切った問いをかけたつもりだった。ゆうべこの部屋で触れ合わせた唇のことを、少しも思い出すことはないのだろうか。アスランは諦めて、もう口に出すことはせず心の中だけでつぶやく。

───それならおれのことは…どうなんだよ、キラ。

………と。