C.E.74 15 Apr

Scene ヤマト家・キラの部屋

キラは、ヘリオポリスの崩壊で家に置いていた大切なものをさまざまに無くしてから、物に執着しない癖が身についてしまった、という。
雑多なものは確かになくなったが、引っ越すまえの数日のあいだに、キラは戦史や戦術学などの軍事用教本をかなりの量で揃えていた。もともと注意力が散漫なところがあるので、一冊ずつ読みすすめるのではなく、五〜六冊を気の向いたときに気の向いただけ巡回して読んでいるらしい。そんなことで内容が混ざらずにきちんと頭に入るのかと思うが、キラにとってはこのやり方がベストであるようだ。
そんな扱いとなっている本たちを棚にしまいながら、キラは家族の過去を少しばかりアスランに教えた。

「母さんは本気でいってるからね、あれ。…実際、三年前なんか、アスランを養子にすることまで考えてたよ」
まったく初耳のことだったのでアスランは心から驚く。おかげでベッドに腰かけながらぱらぱらと捲っていた雑誌を取り落とすところだった。
「オーブは法律上18歳で成人だからね。こっちで生活する以上、それまでは保護が必要だからって。結局いろんな事情でキサカさんが後見人になってすんじゃったけど」
プラントでは成人年齢が早く、15歳ともなれば自活を始めている者も多い。そんな感覚とは無縁なナチュラルのヤマト夫婦にとっては、三年前、16歳のアスランは、まだ頼りなく支えるべき子供に見えていたのだろう。
「それにアスランも、さすがにそれは嫌じゃないかなと思ったから、ぼくは引き止めたんだ」
「そんな、嫌なんてことはないけど……」
夫妻の気持ちを思って少し口ごもりながら、アスランはあらためて考える。
ヤマト家の養子に入るということは、気持ちの上ではどうあれザラ家と決別するということだ。戦犯である父を誇りに思うことなどないが、それでも実の親であることは真実で、自分は彼とレノアの息子として育った。いわれて確かに、それを捨てることには抵抗感があった。
「ありがとう、キラ」
先に察して気を回してくれていたキラに礼をいう。キラは本棚に向いて片づけの手を休めず、アスランには背中を向けたまま無言を返したが、そんなのいいよ、と返事をしているのが伝わった。
こんなささやかな、気持ちが通じてることのひとつを確認するだけで、アスランはほっと安心する。ついこのあいだまで何故理解しあえないのかと、苛々と過ごした日々が幻に変わるような気がしてくる。

「そういえばラクスだけどさ。20日はもう発っちゃうでしょ」
キラが静かな空気を割った。
「そのまえにみんなで壮行会しない? ラクス、一日くらいは空けられるっていってるから」
ここでキラのいう「みんな」とは、マルキオの元で過ごした面々やアークエンジェルの仲間のことだ。アスランは快く同意した。まったく精力的に積極的に自身を動かしていくラクスには正直に頭がさがる。心から彼女の旅立ちを賛辞したいアスランにとっては、この提案を断る理由がない。
だが、
「……寂しくなるね。ラクスがプラントにいっちゃうと」
と、ぽつりといった声を聞けば、ふだんは心の奥に隠れているみにくい部分が少しうずく。同意を求めてこぼれたこのキラのことばにはあえて返事をしなかった。
これは子供っぽい、ひとりよがりの小さな嫉妬だ。こんな狭量なことではだめだと思いながらも、距離を受け入れるふたりの気持ちだけが気になっていた。
「おまえ……」
「──ん?」
寂しさを漂わせたままの彼に、アスランは緊張しながらも切り出す。
「ラクスとはいいのか?」
瞠目してキラは彼を見た。
「めったに会えなくなるんだぞ」
見開いた目をそのまま瞬かせてから、ふいに表情を崩してキラは笑った。
「そうだけど、でも仕方ないんじゃないの?」
ともすればごく軽い印象の返答に戸惑う。もう少し深刻な様子を想像しただけに、心を測りかねてアスランはしばらく黙って彼を見つめることになった。
「? …なに、アスラン」
当然、それを気にした問いかけがやってくる。意味ありげな視線を送ったまま会話を終わらせるわけにもいかず、竦む心をなんとかごまかしながら、今度ははっきりと訊いた。
「好きなんだろ、ラクスが」
「好きだよ」
率直に訊いた質問に、率直な返答がもどってきた。
自分で訊いておきながら心が少し、傷つく。
───訊かなくても判っていることを、わざわざいわせて、おれは…。
後悔に視線を落としたアスランを見つめながら、キラがことばを繋いだ。
「うーん。……好きっていうか…敬愛してるって、そんな感じ」
考えるように自分の気持ちの説明を始める彼に、アスランは意図を掴めず顔をあげる。
「いつでも理解してくれて力をくれて、だから大切にしてそれを返したい。大事な人だよ」
「……………」
それは愛情を告白しているようにも聞こえる。
「傍にいれば心が安らぐし。実際隠棲してた二年のあいだ、ぼくはすごく癒されたんだ」
それはアスランも目にしていることなのでよく知っている。これ以上、惚気たようなキラの発言を聞くのは少しばかり耐えられなくなってきた。

「でも、ぼくたちべつにつきあってるわけじゃないから」

「───は?」

予想に反したことをさらりと告げられ、アスランは暫時思考が停止した。
「そういう意味でいったんでしょアスラン」
「……そうだけど…つきあってない?」
「つきあってないよ?」
まだいっている意味がよく理解できていない。
「なにその顔」
停止した思考がまるっきり判るアスランの顔を、キラは揶揄した。
「いや…おれはてっきり、その…」
のろつきながらも思考が動き出した。
「少なくともぼくはその気ないし」
「……………」
アスランにとっては意識せずいちばん聞きたかったことをキラがいう。わずか気分が浮上しつつも、予想外には違いなく、彼はまだうろたえていた。
「でも、ラクスは違うんじゃないか」
「どうかな? 判らないけど。でもそれは、ラクスのことであってぼくの気持ちではない話だから。考えてもしょうがないんじゃないかな」
「─────」
キラはときどきこうして冷たい印象を落とす。それはヤキン・ドゥーエ戦役で負った心の傷の名残だとアスランは理解している。
「敬愛している女性にたいして少し冷たいんじゃないか、キラ」
「どうして? ラクスだって知ってるよ。ぼくがそう思ってるってこと」
「……………」
アスランは何度目か判らない沈黙を返した。よく判らないけれど、キラはなんだかさっきからにこにこと笑いながら話している。
やはり、キラとラクスに関しては、理解しきれない部分がほとんどだ……。
「……ふたりがそれで、いいなら、いい」
この話題の終わりを告げると、キラはまだ笑顔のまま「心配してくれてありがとうアスラン」といった。思いもしないことで礼をいわれ、アスランとしては嫉妬心から訊いた話なので、少し後ろめたい。
「いや、心配っていうか…まぁ…」
「きみとカガリ、変なところで似てるよ」
何が?という視線を向ければ、キラは「同じこと、カガリからも心配された」といった。
「だからぼく、お返しにアスランのことどうするのって、訊いてやったんだよ」

どうするも何もない。
ふらふらとする自分に見切りをつけて、彼女はひとりで前に進んでしまったのだ。──アスランはそう理解している。カガリから何をいわれたわけではなかった。ただ、自分が気がつくより先に、彼女は知っていたのだ、と今になれば思う。
「カガリが、どう返事をしたか知らないが、」
彼女は本当のことをいうまい。自分の身勝手に原因があることを知ったら、彼女の血を分けたこの弟は自分を許すのだろうか。
「もう、終わってることだから」
自分ではっきりとそういって、あらためて受け入れる。どのような形でも失恋は痛みを伴った。カガリとは、いい関係を続けることができただろうに、と思う。
苦い思いに沈んだアスランに、キラは哀しそうな眼差しを向けていた。それに気がつき、慌てて取り繕うことばを探す。
「………キラ…っ、」
「──判ったよ、アスラン。余計なこといって、ごめん」
キラに先を越され、アスランは不器用に立ち回ってばかりいる自分の腑甲斐なさにため息を吐いた。
「謝ることじゃない。それこそ心配かけて。ごめんな、キラ」
俯いたキラの頭に手をやり軽く髪を撫でる。それは子供の頃からの慣れた動きだった。そして、こんなふうにお互いを心配して空回りし合うことも、昔からよくあったことだったな、と思う。

キラからそっと手を離しながら、アスランはこの関係をどうしようか、と考えた。
さまざまな出来事がふたりの関係を変えてしまい、今少しずつ取りもどそうとしている。それでも、コペルニクスで一緒に過ごしたときとまったく同じに、もどれるはずはなかった。少なくとも、アスランの心の奥にある想いは深みを増してしまい、今更淡いものにはできない。
キラは視線をあげてアスランを見た。撫でられた髪に自分の手をあて、少し照れくさそうにしている。そのキラに薄く微笑みを返しながら、心の中で問いかけた。
───キラは、どうしたい?
彼女のものではない心を知ってアスランは戸惑う。目の前の手を伸ばせば届く距離が切なくなってくる。
もしも、どうしようもなくその身体を抱きしめてしまいたい、とキラに告げたなら。もしくはそうしてしまったら。その奥深くにある気持ちが通じて重なるのではないかと、自分勝手な予感に包まれる。

いつになったら、この呪縛から逃れることができるようになるだろうか。

でもそれは、これから毎日少しずつでも考えていけばいい。同じ家に住まうのであれば、彼の顔を見ながらそうする時間もたくさんあるのだろう。今までもさんざん時間をかけてきたのだ。キラから離れない、と心に決めておけば、あとは互いの持つ時間が何かをまた変えていくだろうと思う。望む方向にも、望まない方向にも。
いずれにしても、最後にキラが笑っているのであれば、どのような結果でもアスランはかまわないと思っていた。