おなじ月

C.E.74 27 Jan

Scene アークエンジェル・展望室

消灯モードの薄暗い通路の先からぼんやりとした光がこぼれている。
そこへ向かって身体を流すあいだ、キラは心臓をどくどくと高まらせていた。光がこぼれる先を曲がると、目の前に巨大な月の丸が広がる。展望室の壁面いっぱいに広がる、窓を模したディスプレイには、アークエンジェルの正面にある映像が映っている。暗闇の背景に浮かんだ白くて丸いものは動くこともなく、面白みのひとつもないものなのだろう。だが、動いていないというのは本当ではなく、時間をおいて比べれば月は少しずつ大きく見えてきているはずだった。だとしても、わざわざここへそれを見にくる者など、自分以外にいないだろう、と思う。

アークエンジェルは月へ向かい、月面都市コペルニクスで情報収集の任にあたることになっていた。
コペルニクスは、キラとアスランが幼少時に出会い過ごした場所。ふたりの大切な思い出の場所だ。偶然訪れた任務にキラは少しばかり浮き足立っていた。子供のように興奮して眠れず、こうしてひとり月を見にきた。
月へ降りるのは五年ぶりのことだった。おそらくこの歳月に、あの狭い都市空間のなかにもさまざまな変化があったに違いない。キラは思い出の場所の今の姿を想像して楽しんだ。

「キラ?」

「──え? アスラン?」

思いがけず声をかけられてキラは驚く。時間は宇宙標準時で深夜だ。当番の乗員以外は誰もが眠っている時間だった。同室のアスランの寝息も確認してから部屋を出てきたのに。
「もしかして、出るとき起こしちゃったかな? ごめん…」
「いや、違うと思う。でも目が覚めて、おまえがいなかったから……」
探しにきたというのだろうか。ふつうに考えれば、どうしてそこまで、とは思う。だが、逆の立場だったとしても、やはりキラもアスランを探しに艦内をうろついただろう。
アスランがアークエンジェルにもどってから、互いが傍にいないと妙に落ちつかなかった。まるで、幼少時の関係にもどったようだった。
キラは暗示めいたものを感じてくすりと笑う。
───五年もかけて…。
ふたりはようやく月で過ごしたあの頃にもどれたのだ、と思う。今、そのコペルニクスを目の前にして。

キラのこぼした笑いが自身の行動に対してのものと思ったのか、アスランが少しばつのわるそうな顔になった。
「……何か、あったのかと思ったんだ。…月を見にきたのか?」
「うん」
アスランはふわりと動いて、キラの傍へと寄った。キラと一緒に、正面の月を見つめる。
「いろいろ見てみたいね。学校とかぼくたちの家があったところとか。…ぼくたちが別れた、桜並木とか……」
月へは遊びにいくわけではなかったが、今回の任務はオーブから同乗してきた諜報部門の人間が実行し、キラたちパイロットは“何か”がなければたいして出番はない。オフをもらって市内見学くらいはさせてもらえるかもしれない。キラは密かな期待をしていた。
「……ここで思い出を話すだけじゃ、だめなのか?」
ぼそりとアスランがいう。視線は月に止めたままで、その表情は読めなかった。まるで、自分はいきたくない、といっているようにキラには聞こえた。
「きみと見にいきたい。一緒に見て思い出すことも、ありそうだし」
わがままを聞いて欲しいとでもいうように、アスランを説得する。
でも、そのことばにゆっくりとキラのほうを向いたその表情は、微笑んでいたけれど少しの哀しみも含んでいた。

───そんな顔、しないでよ。

その哀しげな笑顔はとても優しくて、きれいで、そして温かくて、キラは戸惑う。胸がどきどきとしてきて、見つめ返すことができなかった。
月に視線をもどし、そして、少し寂しくなった。アスランは自分と同じ気持ちで月を見ていない。くすぐったいような懐かしさではなく、哀しみをそこに見ている。何がそんなに、哀しいのだろう。

「……どうして?」
「───ん?」
長い沈黙のすえの問いかけに、いつのまにか月へ視線をもどしていたアスランは声だけで応える。
「…なんだか、月でのこと、思い出すの嫌になってるみたい」
「────うん…」
少しだけ、とアスランはいった。
「月はおまえと出会えて、楽しい思い出をたくさんつくった場所だけど」
アスランの手が伸びて、キラの頬に触れた。
「……おまえと別れた場所でもある」
そのままさらに伸ばしてキラの髪をするりと指で一度通し、その手をおろした。腕とともにおろした視線を再びあげると月をぼんやりと見つめる。
その憂いのさきに見ていたのは、月で別れたあとのつらい日々のほうだったのだ。
「アスラン」
呼ぶ声に向けられた翠の瞳は哀しみを押し殺し、ただ優しいだけのものになっていた。
「おれたちは今一緒にいるから。思い出はいいんだ。……それだけの、ことだ」
キラの胸がぎゅうとなる。どうしてこんなに苦しくなるのか、知っている。
その瞳の奥に、彼の心の奥にある気持ちが伝わってくるから。

思えば、アスランのその気持ちは子供だった頃とひとつも変わらずにいて、これまでにあったふたりの関係の変化は、ただキラが受け止め方をさまざまに変えていただけのことだったのかもしれない。
優しくて、優しくて、優しい、彼のまなざしは、キラをいつでも求めていた。傍にありたい、と。

───変わってしまったのは、ぼくだけだったのかもしれない。

だから、彼は怒っていたのだ。ヘリオポリスで再会してから、ずっと。
けれど、もう、アスランの背中を追いかけるだけのキラにはもどれなかった。

もどれない、と思った。

─End─