指輪2

C.E.73 8 Oct

Scene オーブ領海・ミネルバ〜オノゴロ島・アスハ家別邸

気がつくと、彼のことしか考えていない───。

「本当に心配性だな、おまえは」

最近会ってないから仕方がないよな、と。ことばにしたこと以外にも含みと諦めを滲ませた声だった。
アスランは「オーブについたら様子を見にいってくる」といっただけだった。何の──とはいわなかったが、そこはカガリにすぐ通じることでもある。
海上特有の揺れの心地わるさになのか、カガリはしきりと眉を寄せていた。ザフトの最新鋭艦といえどもこればかりは御し難いものらしい。もとよりこれは宇宙艦なのだし、それでなくとも海は今、宇宙からの落下物の影響で荒れ狂っているのだ。
充てがわれた部屋のモニターは、そんな外の様子を映し出している。オーブの陸地はもう間近に迫っていて、近づくほどに惨状の痕跡がはっきりとしてくる。それを見つめるカガリの左手が、座るシートの肘掛けのうえで拳をつくっていた。
アスランがその手を元気づけるように握ると、カガリは弾かれるように顔をあげて続けた。
「無事が確認できて、よかったな」
彼女はミネルバの通信を借りてオーブの行政府と連絡をとったが、その際につないだオーブの連絡官の配慮で、家と家族の無事をいちばんに伝えてくれたのだ。
「…あんなことがあったあとで、心配性とまでいわれるほどのことじゃないと思うが。心配だったのは、きみも同じだろう?」
おそらく、オーブに到着してもカガリは国の仕事が山になって、彼らの顔を見にいくこともできないだろう。アスランがいくといったのは、彼女の代わりに、という意味もあった。それなのに。
「つまり、さ。今日にかぎったことじゃなくて。おまえはいつも心配ばっかりしてるってことさ」

───心配ばかりしていても仕方がない。

過去にそういってアスランを立ち上がらせたのはカガリだった。
彼を心配するあまりに反って周囲を心配させていたという、あの頃のことだ。
「おまえな。おまえがそんないかにも心配だって顔してたら、キラだってつらいんだぞ?」
そんな反応など、感情のありかなど、かけらも見えなかった頃のことだった。それでも彼女は彼のことなら判るといわんばかりに。
「キラは望んでない。おまえは忙しくしてろよ。キラを心配する暇もないんだってくらい。そのほうがいいんだって。もうわたしも、判ったから」
だが、昔ならば。
うるさいくらいにかまわれることに彼は確かに喜んで、望んでくれていた。離れていたあいだにいろいろなことにひとりで堪えることを覚えて、それはそう覚えただけであって、彼が望んでいないなどと、少しばかりも思えなかった。キラのいったい何が判るのかと、わずかな憤りさえ感じて。
「心配すればいいのか? それだけじゃだめだろ。キラはキラで戦ってるんだから。わたしたちはあいつが望むときにだけ手を貸せばいいんだ。心配で見てて、それが手を貸すことにはならないだろ。なってないだろ、現に」
そうつきつけられたことばの裏には、アスランへの彼女の心配があったのだと、あとになって判ったけれど。

真夏の空へまっすぐに伸びた向日葵のようだった、彼女。今はその花の重みに項垂れるそれに見える。
準備も覚悟もないまま望まれて代表首長となり、日々力の足りない自身に失望して。あの頃彼女を眩しくしていた自信と意欲は薄れ、ひとり歩きしている信念だけが彼女を責めている。老獪な政治家に囲まれ、そこを立ち回るにはまだ若い彼女に荷が勝ち過ぎていた。彼女が頼りにしているウナト・エマ・セイランも、アスランから見れば保身が強いただの政治家だ。カガリがあの男に踊らされていると思えることもしばしばだがある。
カガリが頼れる者を必要としているためだと判ってはいる。だが、アスランにはそうするための力がないのだ。
───カガリを護ってくれるんじゃないの?!
そういってキラの選んだ指輪は、今も無造作に上着のポケットのなかに収めたままだ。こんなことでは渡すまえに、何かの拍子で彼女が見つけてしまうかもしれない。
オーブの出身だという“赤”のザフト兵にもいわれた。そこで何をしているのか、と。
何もしていない。できていない。
キラも気がつくと回復を見せていて、自分に力がなかったことを、思い知らされた。周囲にいわれるまま、彼の傍を離れていたあいだのことだったのだから。
「アスラン?」
カガリが、握った手のさらにうえに右手を乗せていた。ぬくもりを感じるそこは、彼女がそうして呼びかけてから少しの時間があったことを思わせる。
「……ああ。すまない」
「…キラたちのこと、頼むな。きっとわたしは、とうぶんいけないだろうから」
そのことばが終わると同時に艦橋からまもなく港に接舷との報せが入る。
「キラに心配してたって。無事でよかったって。伝えてくれ。これ、もどったらいちばんの、おまえの仕事だぞ?」
そういってつくった彼女の笑顔からは、寂しさがはっきりと滲んでいた。

軍港でカガリと別れてから、アスランはオーブ軍令部で借りた一室でとりあえずひと息をついた。シャワーを浴び、それから国内と世界の状況を知るためにひろえるだけのニュースをチェックし、心を悩ませる。
できない、力がない、と。ただいっているだけでは何にもならない。心配ばかりしていても仕方がない、過去にそういった彼女のことばを反芻する。そして、アスランは本当に何もできないわけではなかった。その力が、ないわけでもなかった。
プラントへもどることができたなら、と。これまでにも何度か考えたことだった。自身の立場ではそれは許されないだろう、と、ただそのために踏みとどまりはしていたものの、現議長デュランダルとの対話と彼が自分に向けることばじりで、それを圧して力を活かせる道を示してくれるのではないかと、ほのかな期待がアスランのなかで生まれてしまっていた。
だが、彼はこころよく思わないはずだ。キラは。アスランの考えを敏感に悟って、このところ会えば、ずっと不機嫌だった。
ほどなくしてアスハ家の別邸へと車を走らせるが、さまざまに板挟みを感じて心が重くなる。全員の無事を確かめてすぐにもどるつもりが、夕食くらいはとカリダとラクスに引き止められた。
それでも食後の時間をくつろがずすぐに邸を辞すると、キラが「おくる」といってついてきた。
「いいよキラ」
「うん…車までだから」
予想に反して今日のキラはずっと優しかった。彼は彼でずっと心配してくれていたのだろう。
別れを引き延ばすのは、こうして顔を見た安堵に多少なりとも名残を感じてくれているからだろうか、とアスランは一瞬自惚れた。
しかし、いつものようにならんで歩くことなく、キラはアスランの数歩さきを歩いていく。玄関のドアを出てからわずかに空気が変化していた。
「…プラントへいくの、アスラン」
浜辺から邸へきたときと同じように車の助手席に乗り込んだキラは、その行動に戸惑うアスランを置いてまずそういった。
「………どうしてそんな…」
「さっきマルキオ様と話してるの聞いてて、そうなのかなって」
どうしたってキラには、心を読まれてしまう。
「ぼくが止めたっていくんだよね」
「………怒ってるのか、キラ?」
「怒ってるよ。パトリック小父さんに」
その名は、今のアスランには深くつきささる。だが、それ以上にキラの意図を量りかね、アスランはキラを見つめたまま押し黙った。キラの二藍の瞳が駐車場の明かりに反射している。
「ぼくからアスランを奪うのは、いつも小父さんなんだ」
何の話がはじまったのか判らず、応えるべき声がもてない。キラの声は静かに淡々としながらも、確かに憤りを伝えているようだった。
「遊ぶ約束してたのに急に小父さんの時間がとれたからって、プラントの家にアスランいっちゃったりとか。そういうこと何度もあったし。…あのときぼくたちが別れたのも、小父さんがプラントにもどれっていったからじゃないか」
恨みがましい顔を向けられてアスランはさらに戸惑った。キラが何をいっているのか、判らなかった。
「きみがプラントへいくっていうときは、いつも小父さんが絡んでるんだ」
「………………」
「小父さんは今回、きみに何をいったの」
キラに、テロリストたちが最期にいったことばを伝えた覚えはなかった。どこでどう、何を、察したというのだろう。
「…何もいうわけないだろう。おれは、おれがそうしたいからプラントへいこうと…思ってるだけだ───キラ…」
もどってくるから、というと、キラは一瞬、確かに泣きそうな顔をした。すぐに俯いたその頭を静かに撫でる。ここしばらく、こんな振る舞いをキラにすることはなかった。
しかし、その手はすぐに振り払われてしまう。アスランはそうされた自分の手を見つめて、振り払うまでのその一瞬からキラの甘える仕草を探した。
「……きみの誕生日にはもどる?」
このまま、視線も合わせてくれないまま、キラはアスランをおくるつもりなのだろうか。しばらく会えないかもしれないことを思えば、それは本当に、耐えがたいと思った。
「約束はできない。…すまない…」
それでも感情とは裏腹に、キラが拗ねるだろうことを愚直にしかいわない自分がいる。判っているのにどうしてと思うが、キラに嘘が通じないこともアスランは知っていた。
「───え…っ、おいキラ」
隙をついてキラがアスランの上着のポケットを探った。そして手にしたものを取り出す。
「…いくのなら、カガリに渡してからにして」
「………どうして判ったんだ」
まだ渡していなかったことを。
「きみ、ポケットに手を入れるのが癖になってたよ」
「………………」
彼女についての責任を負うことに少しためらいがあった。カガリは助けたい。護りたい。でも、そうすることでキラは。
「これをカガリに渡して、それでオーブから離れないで欲しい。嘘のなまえなんか捨てて、もっとカガリの傍にいてもらいたいんだ」
キラの望むままにすれば、キラまで護ることはできない。それほど器用でもなく、自分を過信しているわけでもなかった。
「ぼくだってこのまま、きみが誰なのか判らないままできみの傍にいるのは嫌だよ」
「キラ」
「……アスラン…て。それ以外に呼ぶのも、呼ばれているきみを見るのも、嫌だ」
───でもおまえは、おれが傍にいなくても大丈夫じゃないか。
必要だと仄めかすが、その実は必要としていない。もちろんこうしたことばを聞かされて好かれていないなどと思ってはいない。むしろ、彼にとって大切な存在でいるだけの自覚はあった。肉親であるカガリを護って欲しいと、そう託されるだけの信頼も得ている。

それでも、アスランに縋るようなものは、もう彼のどこにもないのだ、と思った。

なぐさめる手でもう一度キラの髪に触れた。触れただけで、その指で何度も髪を梳くことをせずにすぐ離す。
昔と同じではないのだから。昔と同じように触れる必要はなかった。
「おまえは最後までむこうのなまえで呼ばなかったな。一度も」
知らずに過去形になっていたことにキラは気がついただろうか。どうあってももうアスランを止めることはできないと、本当は最初から判っているのだろう。キラはもう俯いてもおらず、ただ、少しだけ憂いた表情をしていた。
ああ、諦めている、と。
そう感じることに、どこか胸が痛んだ。何に対して痛むのか、アスランはぼんやりとさせたままにする。はっきりとさせてはならない。たとえ、彼が何のためにプラントへいくのだとしても。考えていることのすべてが、いつのまにか繋がる先のことになど。
「……アスラン。指輪…」
「判ったよ」
気がつくと彼のことしか考えていないのに。
───それは恋心ではない、と。

そう、いったのは、誰だっただろう。

─End─