萌芽

C.E.73 8 Sep

Scene アカツキ島・マルキオの孤児院

どのくらいの時間が、経っていたのだろうか。
嵐のように渦巻いた感情は、いつのまにかひっそりと凪いでいた。
キラは、キラが好きな浜辺で、ただ黙って沈みゆく夕日を見つめ続けている。傍らには、まだ心配そうに見つめるラクスがいた。
冷たい潮風に気がついたキラは、上着を脱ぎ彼女に羽織らせた。
「──ごめんねラクス。もどろう。……ぼくはもう大丈夫」
ラクスは少しだけ悲しそうな笑顔になり頷くと、いつもの優しい声で気遣う。
「そろそろお食事の時間ですわね。今日はわたくしがアスランのお世話をいたしますわ」
「ありがとう………でも、」
キラはもう気がついていた。それまで感じていた、アスランの傍にいることの息苦しさの正体を。
「ぼくはアスランの傍にいたい。アスランもぼくに傍にいて欲しいって思ってるから」
ラクスの顔をまっすぐに見ることができず、キラは海へ視線を流しながら告げた。それでもその告白ははっきりとしていて、迷いはどこにもなかった。

「今日はずっと放っておいてごめんね」
アスランが身体を起こすのを手伝いながら、静かな声で話しかける。
「何いってるんだ、そんなこと…」
キラの外出の理由はカリダから聞いていたようだ。自分のために出かけていた者を責める人間がどこにいるのかと、その声が告げている。
ベッドに半身を起き上がらせたアスランの膝に食事のトレイを預け、キラも横にあるデスクで自分の食事を摂った。そうしながら、マーナのすさまじいおしゃべりにつきあわされたことや、その内容を楽しく話す。
アスランの撃たれた本当の理由については、ひとことも触れずに。
たぶん、余計な心配をさせるのが嫌なのだ。だから彼は、カガリにまで嘘をいわせて──。
非難する気持ちはなかった。
ただ、哀しかった。
同じ心を持つ自分たちが、相手への気遣いで距離をつくってしまっていることが。その隙間を埋めたくても、そうすることはできない。──アスランもきっとそう思っている。おそらく無自覚のままに。

食事を終え、アスランの身体を拭いてから、窓を少しだけ、開けた。外の空気を気持ちよさそうに感じながら、アスランは星空に視線を預けている。すでに今日の会話はなくなって、キラは黙ったままそんなアスランを傍らで見つめていた。
キラの眼差しにアスランは気がついているはずだった。彼が視線を送る先の窓ガラスには、すぐ後ろに佇むキラの姿が反射している。気づいていながら何もいわず、何分もそうして見つめられるままになっていた。
だが、ふいに振り返って「キラ」と呼びかけてきた。
その声は消え入りそうで、もしも外から流れてくる波の音と重なっていたら聞き取ることはできなかったかもしれない。
「何、アスラン」
応えると、微かに眉を寄せてキラにしか判らないほどの切なさを表情に乗せる。外の空気に触れて潤んだ瞳の色は、夜の闇にも触れて暗い翠になっていた。その瞳が、キラを見つめ返す。
───いいたいことがあるのは、おまえのほうじゃないのか?
アスランの声が、聞こえたような気がした。
彼は気がついているのだ。キラがでかけた先で、何かがあったということに。
どんなに隠しても、取り繕っても、彼だけはごまかせない。
いつでも彼は、キラの感情に敏感だった。

───ぼくのものではないきみが、どうしてぼくを気にかけるの。
ぼくのものではないきみが、何故ぼくのことをいちばんよく知っているの───。

何故も理由もない。アスランは誰よりもキラのことを考え、いつでもキラを見つめている。
アスランは“そう”なのだ。たとえ彼が誰のものだとしても、彼はそうなのだと。彼のその瞳が告げている。
「もう、閉めるね」
先の呼ばれた声をわざとはぐらかし、冷えた空気に気がついたかのようにいった。アスランはそれに表情を落として応える。無理に微笑む彼が痛々しい。
「……ああ。ありがとう」
窓が閉じられると波の音が遠くなり、ふたりの沈黙を埋める何かが必要な空気になった。いつものように放っておけば、アスランはことばにしてしまうだろう。
「明日も天気がよかったら、」
アスランを止めるために、キラはことばを紡ぐ。
「外へ、出てみる? 少し歩くといいよ。そろそろ」
「──そうだな」

ふたりの関係は、また何か変わってしまった。
いつのまにか、敵対していた頃よりも遠い距離ができていた。心はこんなにもはっきりと寄り添っているのに。
───ぼくたちは、ただの仲のよい友だちだった。誰が、何が、こんなに難しくしてしまったんだろう……。
気がつかないほうがよかったのかもしれない。アスランとふたりきりでいるほどに感じた、それまで感じることのなかった胸の苦しみの理由など。

あれは、手の届かないものが欲しくなったときの、寂しさに似ていた。

─End─