きみの存在

C.E.71 29 Oct

Scene アカツキ島・マルキオの孤児院

終戦後、地球──オーブに身を寄せたアスランは、キサカらのすすめがあって偽名を使い生活を始めた。
大きな奔流の中心で戦争を経験し、さまざまな重みで思考は疲弊しきっていたから、どうして偽名を使ったほうがいいなどと彼らが騒ぐのかあまりぴんとはきていなかった。
それでも、それは父の所行の所以であることだけは理解をしていて、その名を使うたびに父の犯罪を思ってやりきれなくなることがいつまでも続いていた。
どう考えても、アスランの心理的負担というものは彼をつぶしかねないほどに大きいものだったが、それをかろうじて乗り越えていられたのは、自分自身のこと以上の心配が、彼の心を占めていたからだった。

キラは地球へ降りるまでのあいだにどんどん精神的な状態をくずし、落ちつく先をマルキオの元へと決めた頃にはもうすっかり自閉症のような症状になっていた。
カガリが心配し、自分の傍に───アスハ家に連れていこうとしたが、カガリの負担を心配した周囲からは断固とした反対があった。他にも、どこから漏れたものかキラが彼女の血縁であることが首長会に知られ、政治的な意味において厄介な状況というものも予想でき、キラを匿うためにもヤラファスからは離れたこの島が最良だからと、彼と彼女を思う者たちの判断があった。
ラクスとカリダはキラの世話をするために同居を決め、そうすればそれ以上の人を置く場所もないといわれて、アスランは遠慮するしかなかった。
アスランの本当の心はキラが心配で目を離すこともできず、自分も傍にあって彼を見守りたいと思っていた。
真実には、そのキラを見る痛々しいアスランの姿に、それもまた彼を思う者たちによって、そのままではアスランまでも倒れかねないと思われ、キラから少し遠ざけることと気を紛れさせるための仕事を彼に与えることになったのだった。
その事実を知ったときアスランは「余計なことを」と周囲をうらめしく思いもしたが、そうして一ヶ月ののちに精神的な安定を見た自分に気がついて、その判断は正しかったと思い直し、感謝した。
今は──相変わらず心配でたまらないことに変わりはないが、仕事の合間を見てキラの元を訪ねるだけにして、その様子を見守っていた。

テラスにあるベンチでいつものとおりにぴくりとも動かず、今日もキラは座っていた。視線は顔の正面に固定されていて、孤児院の子供たちが遊ぶ姿をその二藍色の瞳に映している。反応がないその姿からは、きちんと視界として頭にたどりついているものなのか、判らない。
「……キラ」
声をかけながらそっとキラに近づくと、キラは少しだけ視線をアスランに向けた。
「うん…」
そう返事をするのがやっと、というような消え入りそうな声が返る。顔はすぐに元の方向へもどされて、立っているアスランからその表情は隠れてしまった。
今日は反応があるだけ調子がいいようだった。安堵しながらキラの横に座り、同じ方向を見る。思ったよりも海からとどけられてくる風を冷たく感じる。
「寒くないか」
返事は期待せずにキラの手を握り、冷えていないか確かめる。次には、頬に。ゆっくりと動いて、キラを見つめる機会をできるだけ長く保とうと…。
だが、今日もその表情に変化はない。視線がこちらへ向くこともなく、ただ海風に押されて繊細な髪が揺れ動くだけだ。
指先から想像するよりあたたかなぬくもりを感じて、アスランはその手を離す。
「冷えてきたら、中へ入るんだぞ」
いい置いてアスランは立ち上がった。
本当はもっとずっと傍にいて彼を見つめていたかったが、それを彼が負担に思うことは察している。キラはアスランの心配をときおりうるさそうにすることがあった。それに心を傷つけながらも、それでもキラが嫌がることはしたくない、とがまんをした。

夕食までいなさい、とカリダにいわれているので、アスランはそれまで時間をつぶすことを考えなくてはならなかった。
少しだけ、子供たちの遊ぶほうへ足を向け、止まる。自分からそこへは近づかないようにしていた。
しばらくすると、アスランに気がついた子供の中の数人が駆け寄ってきて、いろいろと話しかけてきた。「しごと、いそがしいの?」とか「今日はたんじょうびだね!」とか、年に一度しか聞けないことばもまざってくる。うちのふたりに「こっち!」と手を引かれ、他の子たちのいる固まりの中央に連れていかれる。アスランはためらいながらも引かれるままにして、子供たちの集まりの中に入った。
アスランは子供たちの顔を見回し、探す子供を見つける。
逃げ出すのではないか、と思っていたが、彼は隠れてちらちらとアスランに視線をよこすだけで、変わらずに皆とその場で遊び続ける。
その子供はカーペンタリア占領戦で親を亡くし、攻撃したザフトを恨んでいた。初めてこの孤児院を訪れたときにも、ザフトのパイロットスーツを着ていたアスランにその怒りをぶつけてきた。
思えば彼のひとことも、アスランがザフトを脱けたきっかけのひとつだった。自分に影響を与えてくれた子供に、いまだ恨まれていることにはひどく心が痛むが、それらのすべては受け入れなければならないことだった。───父の贖罪のために。
「アスラン、そろそろおうちに入りませんか?! みなさんも、いらっしゃい、ケーキがありますわよ!」
テラスからラクスが声をかけていた。彼女がこんなふうに大声を出して人を呼ぶなど、プラントでは見たこともなかったな、と思い、こっそりとした微笑みが浮かぶ。
アスランが視線をよこす先で、キラが立ち上がり家の中に入っていくのが見えた。浮かんだはずの笑みは掻き消えて、再び切なさに顔を歪ませ俯く。その横を子供たちが口々に何かをいい合いながら通りすぎていく。──楽しそうに。

子供たちの喧噪を少し遠くに聞きながら、アスランも重い足を家のほうへと一歩踏み出そうとすると、ふいに袖口を引くものがあった。
「……今までごめんなさい…」
「───え……」
アスランが振り向くとその子はもう駆け出して、もどる皆のところへと去ってしまっていた。その姿を呆然と見送るアスランに、いつのまに近くでそれを見ていたのか、ラクスが声をかけた。

「キラですわ」
「…え…?」

「キラが、あの子といろいろなこと、お話ししたのですよ。あの子の心も、アスランの心も判るから、と…仰って…」

───キラが…。

今のキラに他人を思いやる余裕などどこにも見えはしなかった。それなのに。
「キラは、アスランにもっとここへきて欲しいのですわ。……何の気兼ねもなく。アスランもお忙しいでしょうけれど」
でも、だから、もっとたくさん遊びにきてくださいね、とラクスは微笑んだ。
「ありがとう、ラクス…。……そうさせてもらいます…」
そう応えながらアスランはためらう。キラの心が、判らなくて。

キラのことは何もかも知っていたはずだった。ヘリオポリスでの再会から、そうではないことをずっと思い知らされ続けて。
───今のおれは、おまえのなかのどこにいるのだろう?
「キラのいちばん」だったアスランは、もういない。それでもキラが示してくれたことにわずかな光を感じて。
促すラクスに応じて、アスランはキラの元へともどった。

─End─